黄アカシア の山 5 月 3 週 (5)
★人はよく「波長が合う」(感)   池新  
 人はよく「波長が合う」「合わない」ということを言います。ある人と初めて会って話をしたら、すごく気が合ってたちまち仲良しになった。あるいは何度会っても、打ちとけられず、会わなければならないのだが、いつも気がすすまない----人間関係では理屈の前にこういう感情が先行することがよくあります。
 波動理論ではこれを共鳴、非共鳴という言葉で表現しています。共鳴というのは、人間世界での用語では「同じ思想や考え方で一致すること」ですが、科学的には「振動体や電気回路に固有振動数と等しい振動を外部から与えたとき、振動の幅が大きくなること」を意味しています。
 このニつの共鳴の定義は関連性があります。私たちはある人と会って、その人と自分の考えが同じであったようなとき、うれしくなって一挙に親密度が増しますが、これは私たち自身が振動体であり電気回路の一種ですから、同じ振動を与えられると、それまで自分の中にあった固有の振動がより増幅されるのです。
 自分の考えに同調する人がいると、その考えに確信が持てるのは、こういう理屈でとらえると納得がいくと思います。波動効果というものは、共鳴することでプラス波動としての効果を発揮し、非共鳴の場合はマイナス波動を生じさせるのです。
 つまり波動が合うと共鳴し、波動が合わなければ非共鳴になる。よく一目惚れというのがありますが、あれなどはお互いが持っている波動がほとんど一致する場合です。好きな人でも波動が合わないとぎくしゃくする。そういう人とはいくらつき合っても共鳴現象が起きずに破綻することになります。
 ただ人間の持つ波動は、非常に複雑な合成波ですから、ある部分の波動が合わなくても、根本のところにある波動が合うということも考えられる。たとえば同じ郷里の出身者は、その士地の磁場(地球には磁場があり、地域によって磁場は異なる。これを磁気的波動とも言います)を身体に受けて育ってきているので、身体のどこかで波動の共有が見られます。∵
 お互いがその部分で共鳴すれば、他の面で波動が合わなくても、人間関係がうまく行くことも大いにありえます。また病気になったとき、故郷へ戻ると治ることがある。これは水、食物も含めて、その土地固有の波動が身体と共鳴しやすいからです。
 初めて会ったばかりなのに「一杯飲みに行きましょうか」となるのは、波動が合っている、共鳴しているということなのです。逆に「こいつとは飲みたくないな」と違和感を感じるようだったら、少なくともその時点での波動が共鳴しないのです。
 彼と彼女の発する波動が共鳴すれば、両方が一目惚れして愛が芽生えるし、波動が合わないと共鳴現象が起きず、片思いに終わることになってしまいます。こういうことはたぶん皆さんも何度か経験されていることと思います。
 それではそんなとき、あなたはいままでどうしておられましたか。私だったら、一歩さがって相手が共鳴できるような波動を自分が持つよう心がけます。自分が許容できる範囲内で相手に自分の波動を近づけるのです。そうすると相手のことがわかってきますし、相手も自分を理解してくれます。
 いじめ問題というのも波動の側面から考えれば、いじめる側もいじめられる側も、波動の乱れが生じ、それが原因となって悲しい出来事が起きていると思われます。なぜそんなに波動が乱れるのか。家庭、学校、地域社会、マスコミ媒体、子供を取り巻くすべての社会の波動が乱れ、歪みが生じているからと言えるでしょう。
 子供というのは、周囲の波動を敏感に感じ取ります。自分が発するよりも受けるほうが大きいのです。そうやって敏感に感じ取ってしまった波動の乱れが、純真で正常だったはずの子供の心に、悪いものを植えつけてしまう。しかし良いものも植えつけることも容易なのですから、大人は子供に良い波動を植えつけるようにしてあげなければいけない。いまはそれができていないのです。
 (「蘇生力」中根滋 ビジネス社より)