長文 5.1週
1. 地球が抱えるかか  これからの課題というと、一般いっぱん的にだれの頭にも浮かぶう  のが地球規模で進む人口の爆発ばくはつ的増加と、これに対応できるかどうかの食糧しょくりょう生産の可能性、さらにはエネルギー消費の増大、人々の生活の高度化による廃棄はいき物の増大といったことになるが、それが日本国内ということになると様子がいささか変わってくる。出生率の低下から日本の人口についてはむしろその減少ということが問題になるので、地球規模で語られる話とは様子が変わってくる。エネルギーにしても、日本で実証が動くことになっているかく融合ゆうごうがモノになれば事態は一変する。
2. そこでここでは日本を中心とした話題をまず取り上げ、その上で地球規模で展開しつつある各種の問題と、これに対応する技術の動きという順序で検討していくことにする。
3. まず人が生きていくには食糧しょくりょうがいるが、日本の自然的条件としては、国内での自給自足は可能である。それには現在までの状況じょうきょうはすべて無視して、食糧しょくりょう生産の原点から考えてみると全く別な姿が見えてくる。
4. 農業の場合まず必要なのはもちろん土地だが、日本列島の土質は幸いなことに農業には最も向いている。スペインの上を飛ぶと、どこまで行っても赤茶けたほこり(ほこり)だらけの粘土ねんど質の土地が続いて、これではオリーブかせいぜい葡萄ぶどうくらいしかできないことがすぐわかる。ところが日本列島は飛行機で飛ぶと南から北まで緑滴るしたた 島である。
5. 次は水だが、周囲が海に囲まれているおかげで欧州おうしゅうの平均値の二倍から三倍は雨が降る。
6. 最後に太陽だが、亜熱帯あねったいのおかげで欧州おうしゅうとは比べものにならないくらいに日照時間は長い。つまり農業の原点である土地と水と太陽がこれだけそろっている。それでいながら日本の農業がとやかくいわれるとしたら、明らかに人災であって天災では絶対にない。その証拠しょうこはいくらでもある。∵
7. まず食糧しょくりょうの基本は穀類であるが、日本は音から瑞穂みずほの国といわれるように米作については世界でも珍しいめずら  ぐらいによい条件を持っている。米という作物は同じ場所で連続してつくっても、地力が衰えるおとろ  ことがない。
8. 一般いっぱん的にいって、植物というのは一回その場所で実をみのらせると、地力が枯れか てしまって、あと何年かはその場所ではつくれないことがある。ところが米は連作がきく非常に便利な作物である。
9. しかも、日本の米作技術は長い間の積み上げによって、世界のトップレベルをいっている。現に日本から現在途上とじょう国に派遣はけんされているOECDの援助えんじょによる技術指導員の中には、米作をその地域に伝えるための人々が圧倒的あっとうてきに多い。それは、よくいわれる食糧しょくりょう危機に備えるために、途上とじょう国に日本の米作技術を伝えるということで、先方からの熱い要請ようせいによって行っているのである。
10. さらに、品種改良についても日本は世界でも高いレベルにある。現実にいま日本の政府は米がとれすぎるということを恐れおそ て、減反政策というのをとっている。ところが減反をやってもやっても、米ができすぎるのである。それは農家の方々が米というのは非常に生産性の高い穀物であることをよく知っていて、それをつくることを続けた結果である。
11. 一般いっぱん的にいって、米というのは食べるための加工が非常に簡単である。水を入れて火にかければよい。ところが、その他の穀類というのは、食べるまでの途中とちゅうの処理が大変である。小麦にしても、またトウモロコシにしても、その加工技術をうまくやらないと、できあがった食物というのは我々ののどをうまく通らない。
12. しかも、米というのは非常に美味しい。よくいわれるように、中国においては、貧しい時代にはコーリャンとか、トウモロコシを食べていた。ところが一度米を食べてみると、その味の魅力みりょくに引かれて、コーリャンとかトウモロコシを食べなくなった。それぐらい味についてもいい。これだけ優れた米をつくる力を日本の国土は持っているわけである。その証拠しょうこがいくらでもある。∵
13. みなに自由にやらせたら、どれだけ米がとれるかということのひとつのモデルは秋田県の大潟おおかた村である。大潟おおかた村というのは八郎潟はちろうがた干拓かんたくして、日本の新しい農地をつくろうということでスタートしたわけである。そのときに全国から、やる気のある農村の人々を集めてつくった、全く新しい人工の村である。また、農業のためのいろいろな機械も大量に投入した。だから一人当たりの生産性は非常に高い。
14. その地区の豊かさを示す数字は民力というのがあるが、日本の全体平均を百としたときに、地方都市ではせいぜい九〇前後である。ところが、大潟おおかた村は一三六なのである。大潟おおかた村に行ってみるとよくわかるけれど、農民の方々は実に豊かな生活をしている。つまり、日本の農村というのは、自由に米をつくらせると、ものすごい生産性を持っているということがこれを見てもわかるのである。
15. (「日本・陽は必ず昇るのぼ 唐津からつ一 PHP研究所より)