長文 4.3週
1. 経済の原点である産業構造は時代とともに変化する。日本の場合、第二次大戦後の混乱期が終わってどうやら経済が成長に移りはじめた一九五二年ころの最大の産業は農業であって、その規模は十六・二%のシェアを占めし ていた。これに対して、製造業は一四・五%であった。だからそのころの日本は農業国であったわけである。それ以降日本では急速に製造業の規模が拡大していって、年度にもよるが三〇%前後のレベルにまで成長した。一方、農業は二・二%に減少している。この間各産業の就業人口の数ももちろん変化した。
2. このように日本の経済では製造業が牽引けんいん力になってきたことは確かだが、産業別に見ると、その中には急速に成長したものもあれば衰退すいたいしていったものもある。アルミ精錬せいれんは一時アメリカに次ぐ世界第二の規模であったが、二度のオイルショックによる電力料金の高騰こうとうによって、自家水力発電によるもの以外は姿を消した。
3. 経済の原点である産業構造は時代とともに当然変化していく。日本の場合、第二次大戦後、政府はまず経済を建て直すために基幹産業として石炭、造船、続いて鉄鋼といったものを選んだ。そのなかには、実はアルミ精錬せいれんも入っていたのである。
4. ところが、時代とともに技術は変わっていく。たとえば、日本の家電産業というのは世界のトップを走っているけれど、戦後間もなくはラジオを主につくっていた。これは戦争で破壊はかいされ尽くしつ  た日本の家庭の中で、まずそのころの最も近代的なメディアはラジオであったからである。しかし、ラジオは普及ふきゅうし終わる。
5. 次に出てきたのは白黒テレビである。白黒テレビがひとわたり行き渡っい わた たところでカラーテレビが出てくる。カラーテレビはかなり長く続いたが、それでもやがて普及ふきゅう行き渡るい わた 。その次に引き続いて出てきたのはビデオである。そして、その次にビデオカメラ、こういった調子で日本の家電メーカーは主力商品を次から次へと移してきている。これを大雑把おおざっぱにいうと、一〇年で新しい商品と入れ代わっているということを読み取ることができるのである。∵
6. このところ、日本のテレビメーカーが海外に生産拠点きょてんを移した。そのためもあって、国内生産よりも海外の生産のほうが多くなった。これを産業の空洞くうどう化という言い方をする人がある。しかし、これは私にいわせると、非常に短絡たんらく的な、近視眼的な見方である。このように成熟した技術は、むしろそういった途上とじょう国に持って行くべきである。その地域ではまだこの種の新しい家電製品、その他が普及ふきゅうしていない。そして、その日本の企業きぎょうは次の世代の製品をつくればいいわけである。現実にそれが続いている。
7. それだけに、日本の企業きぎょうというのは研究開発投資を必死でやっている。日本の製造業は過去三〇年の間に売上金額が約三倍になっている。ところが、この間に研究開発投資が一〇倍増えているのである。このような努力を続けることだけが、日本の製造業を末永く維持いじするエネルギーになるのである。
8. (「日本・陽は必ず昇るのぼ 唐津からつ一 PHP研究所より)