1. 私は最近、九十
歳を
越えていまなお
活躍しているある人が書いたものを読んで、大変
感銘を受けた。
2. ご老人は功成り名
遂げた人だから、多分日常は快適な
環境の中で暮らしておられるのだろう。だが、ご老人は毎朝冷水を浴びることを一日も欠かしたことがないという。朝起きて、大気と十度以上も差のある冷水を浴びる。毛穴がすぼまり、血管が
引き締まる。その
刺激がその人の生物体としての適応能力をよみがえらせる。快適な毎日にあって、一時でも厳しい
環境の中に身を置くことで、生物体としての適応能力を
刺激する地道な営みが、ご老人が九十
歳を
越えてもなお元気に
活躍している一つの要因になっているのだろう。
3. いま、私は家で
鯉を飼っている。
鯉や金魚を飼っている人は多いが、聞いてみると、よく死なせている。私は
自慢ではないが、
鯉も金魚も信じられないほど長生きさせることができる。いや、
自慢するほどのことはない。カレルの理論を応用しているだけなのだ。
4. そのコツは
餌を十分にやらないことである。ときには一週間わざと
餌を
与えなかったりする。いま飼っている
鯉は、これで
攻撃的なエネルギーを発揮し、元気いっぱいに長生きしている。
5.
餌を十分にもらえないことは、
鯉にとって快適な
環境ではない。いささかの
飢餓状態に置かれている。これが
鯉に
攻撃的なエネルギーを
与え、元気に長生きさせる要因なのだ。反対に十分な
餌を
与えると、適応能力が
刺激されず、生物体の価値を低めてしまって、早く死んでしまうことになる。
6. 最近は犬でも
猫でも栄養満点のペットフードを
与えられ、満ち足りているようである。かつて
猫と言えば高い木や
塀に登り、
鼠を
獲るものと相場が決まっていた。ところが、いまの
猫は木にも
塀にも登らなくなったし、
鼠も
獲らなくなった。栄養満点で
飢餓を知らず、空調
冷暖房完備の部屋でヌクヌクと
寝そべっているうち、∵適応能力が失われ、木にも
塀にも登れなくなったし、
鼠を
獲ることもできなくなったのである。満ち足りた
環境の中に長くいると、適応能力が
衰えたまま、固有の能力も退化してしまうのである。
7. そう言えば、
盆栽の名人からいい
盆栽を育てるコツは、「切りすぎずに切る」ことだと教えられたことがある。植物を限られた
状況に置くのが
盆栽である。だから、そのままにしておくと
盆栽はすぐだめになってしまう。枝を切ることで適応能力が奮い起こされ、いい
盆栽になるのである。
8. 人間もまた、同じである。アレキシス・カレルは
要旨、次のように言っている。「食うだけ食って、
寝たいだけ
寝て、人間の向上などはあり得ない」
9. まさにその通りだと思う。
10.
眠たいのを
振り切って起き上がったことのない青年が、将来物の役に立つ人間になるとは思えない。
眠りというのは生物の個体にとって極めて重要で、これが極度に
妨げられると、生命の危険にさえ立ちいたる。逆に
眠りたいだけ
眠って満ち足りると、生物の個体はそれ以上は
眠れない。生物体は生物学的に必要があるから、必要な分だけ
眠るのだから、「
惰眠」などということはないはずである。それなのに「
惰眠をむさぼる」などと言う。なぜか。
11.
眠りたいだけ
眠ることは、生物体の適応能力を
刺激しないだけでなく、精神の適応能力にも、
響いてくるのである。
眠りに満ち足りると、生物の個体は何かに向かって努力するという気持ちを失ってしまうのだ。従って、
眠りたいだけ
眠ることは「
惰眠」なのである。
12.
眠いのを
振り切って起きた経験がなくて、向上した人間はいない。これは
肝に
銘ずべきことである。向上して将来大いに世の中の役に立つ学生は、いま
眠いのを
振り切って机に向かい、勉強しているはずである。 (「
致知」
渡部昇一氏の文章より)