長文 11.4週
1. 清作せいさくは一さい半の時に、いろりに落ちお て、左手に大やけどを負いお ました。悲鳴ひめいを聞いて、外で野良のら仕事しごとをしていた母シカが驚いおどろ てかけつけた時には、清作せいさくの手は、やけどで開くひら ことができなくなっていました。一八七七年、福島ふくしまけん猪苗代湖いなわしろこのそばにある小さな村でのできごとです。
2. 当時の医療いりょうでは、やけどでくっついたゆびをもとの通りに戻すもど 手術しゅじゅつ不可能ふかのうでした。何けん医者いしゃをたずね、遠い町の医者いしゃに、
3.「残念ざんねんだが、この子の手はなおらん」 
4.と言われた時、シカは声をあげて泣きな ました。 
5. まだ幼いおさな 友達ともだちは、清作せいさくの手を見てからかいました。清作せいさくはものをつかむことも、自由じゆう動かすうご  こともできない左手をくやしがって、一人泣くな こともありました。しかし、学校にあがってからは、たいへん熱心ねっしん勉強べんきょうし、だれにも負けま ない成績せいせきをおさめたのです。
6. 父親が大酒おおざけ飲みでの  働かはたら ないため、たいへん貧しかっまず   清作せいさくのうちでは、どんなに優秀ゆうしゅうでも上の学校へ進学しんがくさせる余裕よゆうがありませんでした。子供こども清作せいさくにとっては、母のシカしか頼るたよ 人がいなかったのです。しかし、ちょうど清作せいさくのいる小学校に巡回じゅんかいに来ていた小林先生が、清作せいさく勉強べんきょうに対する たい  熱意ねついを知り、清作せいさく進学しんがく助けたす てくれたのです。
7. また、先生はアメリカ帰りの高い技術ぎじゅつ持つも 医師いし紹介しょうかいじょうを書いてくれました。大変たいへんお金のかかる手術しゅじゅつ必要ひつようでしたが、先生や学校の友達ともだちがお金を出し合ってくれて、清作せいさく手術しゅじゅつ受けるう  ことができました。ついに、ゆびが一本一本離れはな 、ものをにぎれるようになったのです。 
8. 清作せいさくは、直してくれた医師いし恩人おんじんの小林先生らに感謝かんしゃしながら、心に誓っちか たことがありました。 
9. 「一生治らなお ないと思っていた左手が、医学いがくの力で治っなお た。わたし将来しょうらい医者いしゃになって、自分のように苦しむくる  人々を助けたす たい。それが∵わたし恩返しおんがえ だ」 
10. この清作せいさく少年こそが、のちの野口英世ひでよです。その献身けんしんてき研究けんきゅうぶりは、まさに寝るね 間も惜しむお  ほどだったそうです。留学りゅうがく先のアメリカでは、「日本人はいつ眠るねむ のだ」と他国たこく学者がくしゃ驚かおどろ せるほどのもう勉強べんきょうをし、その生涯しょうがい医学いがく研究けんきゅうにささげたのです。

11. 言葉ことばの森長文ちょうぶん作成さくせい委員いいん会(φ)