00イバラ の山 7 月 1 週 (5)
○江戸のあさがお   池新  
 【1】江戸時代は、戦争の多かった当時のヨーロッパとはちがい、犯罪も少ない平和な時代でした。大都会の江戸で二百年以上もお風呂屋さんの料金が変わらないという、とても安定した時代だったのです。
 【2】多くの人が、長屋というせまい家に身をよせあって暮らしていましたが、ぜいたくを言わなければ食べ物は充分にあり、貧しくとも心豊かに生きることができる時代でした。そこでいろいろな庶民の文化が生まれ育っていきました。【3】なかでも園芸はとてもさかんでした。
 広い庭はなくても、鉢植えの植物ならだれでも楽しむことができます。たくさんの人々が鉢物のおもしろさに熱中し、やがてそれぞれの時代の流行も生まれました。【4】カラタチの小さな鉢植え一つに、今で言えば数億円の値段がついたこともあったということですから、その熱中の度合がよくわかります。
 ところで、江戸時代にはまだ電灯がなく夜は早く寝たので、多くの人が早起きでした。【5】そこで早起きで美しく見られる花、アサガオが親しまれ、大流行しました。江戸時代以前には、アサガオは淡い青色のものだけで、道のすみなどに咲いている地味な花でした。【6】それが江戸時代の後期になると、花も葉も実にさまざまな変わった種類のものが栽培されるようになりました。カラーで印刷されたアサガオの専門書まで何冊も出されました。町中では、天秤棒をかついだ植木売りが歩いている姿がよく見られました。【7】アサガオの優劣を競う花合わせ、コンクールもさかんに行われ、お寺や神社の境内などには、自慢の珍しい鉢植えがたくさん持ち寄られました。
 アサガオは色や形が変化しやすい植物なので、いろいろなものが作られました。【8】当時のカラーの本の中に、濃い黄色のアサガオがあります。濃い黄色のアサガオを咲かせることは、現代の技術でもまだできていません。∵
 花の色や形だけでなく、葉も花に合った形のものが珍重されました。【9】中でも好まれたのが牡丹咲(ざ)きと言われるもので、これは雄しべや雌しべまでが花びらと同じような色や形になったものです。しかし、苦労を重ねた末、やっと満足のいく色や形のものができても、変化の進んだ花ほど種ができないのが普通です。【0】牡丹咲(ざ)きのものは、種をつくるのに必要な雄しべや雌しべまでが変化したものになっているのでなおさらです。そこで、牡丹咲(ざ)きの花と同じ親を持つ兄弟で普通に咲いた花から種をとり、その種から芽を出したものからまた牡丹咲(ざ)きのものを選ぶという、気の遠くなるような手間をかけて、新しい品種を作っていったのです。
 こんなに手間のかかることでは、「アサガオ」そい人(ひと)には、とてもできなかったでしょう。

 言葉の森長(ちょう)文作成委員会 α