1祝う言葉という依頼なのだが、いきなり「バンザイ」とくると下品だろうか。たしかに最近では、選挙に勝った場面とか、とにかく多勢で酔っぱらって両手をあげている姿しか浮かばない。
2しかしこれはもともと中国の正月の習慣で、五岳(注・中国で古来から崇拝されている五つの名山)の一つである泰山に皇帝が登り、「万歳」
すなわち悠久の平和を祈る儀式に由来している。今の平和に感謝しつつ、それが一万年も続きますようにという祈りの言葉なのである。 3ところで私が祝いの言葉として「バンザイ」を挙げたのは、これが心底思いを込めて使われた場面に接したからである。
気仙沼のお寺の和尚が住職になる儀式だったが、修行時代の師匠である老師が本山から招かれ、「祝辞」という段になった。4その際、老師はしばし沈黙し、ぴったりと唇を閉じて虚空をにらみ、それから大声で「バンザーイ」と大声をあげた。それだけである。
長々とした祝辞が多いなかで、それは鮮やかな場面として今も脳裏によみがえる。伝わるものは言葉にしなくても伝わる。5いや、へたに言葉にする以上のものが伝わることがある。何人かの涙ぐむ人々を見ながら、私はそう思ったものだった。
しかしこれは極めて稀な例である。おそらく何度か見てしまえば、感慨も薄れるのかもしれない。6通常は、祝う心を丁寧に表現しないとそれは伝わらないし、それどころか、表現することで無意識だった気持ちまで引きだされたりもする。
「愛でたい」という気持ちを、わざわざ言葉に出して表現することを、日本では古来「ことほぐ(言祝ぐ)」と言う。7「寿」は、その名詞形である「ことほぎ」がさらに訛ったものだ。
禅ではこの「言祝ぎ」が重視される。なによりもまず自分の生まれた場所や親は選べなかったわけだから、そこから言祝いでしまうのである。この町に生まれて佳かった。8この両親のもとに生まれて佳かった、そこから始まって「今日は佳い台風だ」「今の私は素敵な年齢だ」「歯が痛いのもしみじみして味わい深い」などと、自
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