a 長文 3.2週 yube2
伝統について

 君は伝統ということばをきかされたことがあるだろう。とくにスポーツの部員になっている人は、
「わが○×中学の野球部の伝統をけがしてはいけない」
 などと先輩せんぱいからいわれただろう。
 以前から代々うけついできた生活の様式とか、芸術の手法とか、ものの考え方とかを伝統というのだが、先輩せんぱいがハッパをかけるときにいう伝統は、まえの人がやってきた、名誉めいよになることを意味していた。
 いいことばかりを、その気になってうけついできたものが、目のまえにあるような感じで、先輩せんぱいはハッパをかける。
 私も中学のとき、テニス部の部員として先輩せんぱいから、また野球の応援おうえん団として応援おうえん団長から、伝統ということばを、そういう意味でなんどもきかされた。
 だが年をとって、家のなかにひっこんで、つきあいらしいつきあいもなしに暮らしていると、伝統ということばの感じがちがってきた。
 伝統をなにかいいもの、その気になってうけつがないといけないもののようにいうのは特別な集団に他人をしばりつけようとする有力者の手だてなのだ。
 野球部の先輩せんぱいは、自分がコーチをしている野球部から選手がにげださないように、伝統をもちだしてくるのだ。
 うっかりさそわれてスポーツの部員になったが、やってみると、からだはつかれる、好きな本はよめない、いつも監視かんしされる、これではたまらない、もっと自由に生きたいと思う人だってある。そういう人が、自分が野球部にはいっていることにはたして意味があるだろうかと疑うことは、わるいことではない。
 それにたいして伝統をもちだす先輩せんぱいは、野球部の伝統は、いいもの、名誉めいよあるもので、自分個人をかんがえることは、わるいもの、不名誉ふめいよなものという調子でたたみかける。
 先輩せんぱいが伝統をふりまわすのは、かれのほうが有力者だからだ。
 集団にはたいてい有力者がいて、そういうことをする。
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 集団からはなれて、自由に暮らしていると有力者にであわない。もう伝統をまもれとは、いわれない。そうなると伝統は、いいものばかりでないことがわかってくる。すすんでまもるべきものどころか、いやでもしばられる、へんなものだっておおい。

『人生ってなんだろ』(松田道雄みちお)より
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