a 長文 2.3週 yube2
尊敬する人物

 君はいままでに、
「あなたはどんな人物を尊敬していますか」
 などという質問をうけたことはないか。
 私は小学校や中学校のとき、よくそういう質問をだされた。そして、いつもこまったことをおぼえている。尊敬するということが、あまりはっきりしたことばでないからだ。
 ところが、先生のほうは、この生徒はどういう人物になりたがっているかが、それでわかるように思っているらしかった。
 えらいなあと思うことと、そういう人に自分もなりたいと思うこととは別だ。
 野口英世がよく勉強したことは、えらいにはちがいないが、自分も野口英世みたいにがんばって勉強できるかどうかわからない。また、勉強したとしても、おなじように有名になるとは思えない。
 野口英世の伝記を読んで感心したことは、野口英世を尊敬することではない。伝記をかいた人が、読者を感動させるように、うまく書いたこともあるからだ。
 それでも「わが尊敬する人物」を中学生にかかせた統計は、いまでもある。たいてい、きまっている。トップは、男の子は、むかしはリンカーンだったのが、いまはケネディだ。女の子は、ヘレン・ケラーかナイチンゲールだ。
 生徒のほうで先生の読心術をやって、こうかいておけば、先生は安心するだろうと思って、あんなふうに書くのだろう。
 人間は、めいめいが天分をもち、それを生かして生きるしかないのだから、他人の天分にそんなに感心することはない。だから、尊敬する人物はいなくてもいいが、理解する人物はいないといけない。
 まず第一に、自分の両親を理解することだ。
 人間を理解するのは、やさしいようで、むずかしい。有名な哲学てつがく者のへーゲル(一七七〇〜一八三一)は「従者にとって英雄えいゆうはない」といったが、どんなえらい人物もその日常に密着してみていたら、ふつうの人間とかわらないという意味だ。
 あまり近くにいると、その人物のいいところがわからない点で、親子は損だ。
 人間は、欠点をもちながらも、けっこうたのしく、平和に生きていけるものだ。それがわからないと、人間を理解できぬことを忘れてはならぬ。
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『人生ってなんだろ』(松田道雄みちお)より
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