内村鑑三のこと
1君は内村鑑三という人を知っているかい。
「少年よ、大志をいだけ」
といったクラーク先生の開拓精神を校風とする札幌農学校(今の北大の前身)の第二回卒業生だ。2のちアメリカにわたって、キリスト教を勉強し、日本にかえり、どの教会にもぞくしないキリスト教をひろめた。学者でもあり、文学者でもあった。
3アメリカでは、精薄施設の看護人もしたくらいで、生活は楽でなかった。
あるとき、いよいよ金にこまって、以前に、こまったときは来なさいといってくれた米人のことを思いだし、雪の降る夜、ぬかるみに足をとられながら、たずねていった。
4その家のまえまできて、その人のいる書斎の窓の灯をみつめて、彼はかんがえた。
待てよ、もし、ここで金をめぐんでもらったら、日本へかえってキリスト教をひろめるとき、
「あの福音には金のにおいがするぞ」
といわれるだろう。
5信仰を生活のたよりにしてはならない。そう思った彼は、むしろ飢えをがまんしたほうがいいと、きびすをめぐらして、雪の道をひきかえした。
彼の選択は正しかった。6日本にかえってから、彼の人間としての清潔さが、おおくの人の信用をえて、たくさんの信者が彼のまわりにあつまった。
日露戦争のとき、内村鑑三は平和主義の立場から非戦論をとなえて、戦争に反対した。7反戦牧師だったわけだ。そのころ、国民のほとんどが軍国主義者だったから、戦争に反対するのは、たいへんなことだった。けれども彼は平和主義をまもりとおした。
8自分の信念をまもろうとしたら、かんたんに人から援助をうけてはいけない。
人間が人間を信じるのは、そのいっていることが本心からでているときだけだ。
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