a 長文 9.1週 yabi2
 人間には、人それぞれの基本的な行動のパターンのようなものがあるようだ。たとえば、何か新しい場面に出合うと、はしゃいでしまって、ついしなくてもよいようなことまでやってしまうとか、逆に、どうしてもひっこみ思案になってしまうとか。しかし、このようなことに気がつくと、あんがいそれは変えられるもので、他人にもあまり気づかれないくらいにはなる。
 だが、自分もだいぶ変わったかな、などと思っていても、いざという場面──緊急きんきゅうのときとか思いがけないことが生じたとき──になると、知らぬ間に以前の型にかえってしまう、ということはよくある。それは突発とっぱつ的に起こり、自分でも気がつかないときさえあるが、傍らかたわ で見ている人には明瞭めいりょうに見えるものだ。このような人間の行動の「回帰現象」とでも言えるようなことがあるのを知っておくと、便利であると思われる。
 個人の行動の型だけでなく、ある程度は文化的な型もあると思われるが、ここでも同様のことが生じる。たとえば、日本人だと、すぐには自己主張をせずに、全体との関連を考えたり雰囲気ふんいきに合わせたりしながら、ゆっくりと間接的に自分の考えを表明してゆくが、欧米おうべいでは自分の意見を最初から明確に表現することが期待される。あるいは、日常的な例をあげると、贈り物おく ものをするときでも、日本人は「お気に入らないかと心配しています」というような表現をするが、欧米おうべいだと「お気に入っていただくと嬉しいうれ  です」という表現になる。
 こんなことがわかってくると、私などは欧米おうべいに行くと、必要に応じて『スイッチ』の切り替えき か をして、ある程度は欧米おうべい式でやってゆくようにしている。しかし、むしろ大切なときとか何か圧力を感じるときなど、知らぬ間にスイッチが切り替わっき か  て「回帰現象」を起こしているのに気づき愕然がくぜんとすることがある。このようなことは、相当ベテランの外交官やビジネスマンでも外国人相手の交渉こうしょうのときに経験するのではないだろうか。
 先日マンスフィールド・センターから招かれて話をしたとき、このような「回帰現象」についても少し触れよふ  うと思った。しかし、それほど一般いっぱん的なこととして言えるかどうか心配でもあったの
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で、栗山くりやま駐米ちゅうべい大使の招宴しょうえんの際に、前駐日ちゅうにち大使のマンスフィールドさんの横に座ったので、以上のことについてどう思われるかを、お聞きしてみた。「それは当然のことです」とかれは言われ、「私自身も経験しました」と静かにつけ加えられた。
 それ以上は言わなかったが、この短い言葉のなかにマンスフィールドさんが日米の間の架け橋か はしとして相当に苦労されたことが、私には強く感じられて、さすがは、と感心させられた。おそらく、日本式の考え方や感じ方もよくわかり、ときにはそれに合わせてゆこうとしつつ、知らぬ間に回帰現象を起こしている自分に気づいたり、アメリカ人と同様に話し合えると思っていた日本の外交官が、いざというときにまったく「日本的」に行動するのを見て驚いおどろ たりされたのではなかろうか。
 何しろ、この現象は、大切なときに生じる上に、それが生じていることを本人が気がつかない場合があるので、なかなか厄介やっかいなのである。このようなために、取りかえしのつかない失敗が起こることもある。
 しかし、野球の際の投手のけん制球が、不用意に盗塁とうるいされるのを防ぐように、自分の心のなかで、「回帰現象に注意」というけん制球を投げていると、これもだいぶ防げるようである。あるいは、回帰現象を起こしても、自分で気づいて、それについて相手に説明して了解りょうかいしてもらったり、自分の姿勢を立て直すなりすることによって、決定的な失敗を免れるまぬか  ことができるようにも思う。スポーツと同様、人間関係も訓練によって少しずつ上達するようである。

(河合隼雄はやお「おはなしおはなし」より)
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