a 長文 7.4週 yabi2
 科学技術は、人間にとっての環境かんきょう世界を大きく変えてきました。人間単独では見えない世界、できない世界を、見える世界、可能な世界に変えてきたわけです。
 もともと人間は、好奇こうき心が非常に旺盛おうせいな生き物です。今まで感じることのできなかった環境かんきょう世界を感知することができるようになれば、それだけでも大きな満足です。さらに、行けないところに行けるようになる、持ち上げられなかった物が持ち上げられるようになる、作れなかった物も作れるようになる、もうこうなってくると、好奇こうき心というよりも欲望と言った方がいいかもしれませんが、それを実現することを、科学技術は可能にしてくれたのです。
 当然これは、人間にとってはおもしろいしありがたいことですから、どんどん先へと進みます。科学技術は、ある意味、夢をかなえてくれる道具だったのです。科学技術の歴史は、人間がその夢をかなえ、欲望を満たすための道具を開発してきた歴史だと言ってもいいでしょう。
 さて、問題は、科学技術の発展が累積るいせき的だということです。自転車ができて速く遠くへ移動できるようになったら、次は、より速く、より大量に移動できるように改良したり、新しい道具を開発したりします。今、到達とうたつしているところが、次への出発点になるのですね。だから、全自動洗濯せんたく機がはじめて届いて感動していても、しばらく経つとそれが標準の状態になってしまって、さらなる便利さを求めていくわけです。
 この累積るいせき性というのは、科学技術に限らず人間の文化現象すべてに共通の特徴とくちょうです。文学作品だって美術作品だって、今までには表現されていないテーマや技法を求めて、作家たちは苦労しています。過去が蓄積ちくせきされていて、そこから出発しているわけです。科学技術も累積るいせき的に発展してきたからこそ、これだけ膨大ぼうだいな知識を集めることができ、強大な道具を作ることができるようになったわけです。
 ところが、これが両刃りょうばつるぎでした。単独の科学的知見や技術的成果であれば、その影響えいきょう力は人間の想像力の範囲はんい内です。しかし、どんどん累積るいせき的に発展してくると、あまりにも規模が大きく、
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強力になりすぎて、人間の想像力の限界を超えこ てしまいます。そうすると、予期せぬ副作用が生じたりして、事故につながったり、あるいはアスベストのように気づかないうちに人間の健康を蝕んむしば だりする場合が出てきます。現在の科学技術には、このような側面があります。
 そうなると、今までは夢をかなえ、希望を実現してくれる存在だった科学技術が、生活や健康を脅かすおびや  ものとしてクローズアップされてきます。公害問題などがあったとはいえ、一九六〇年代、七〇年代までは、まだ科学技術はバラ色でした。それがじわじわと副作用が気になりだし、地球環境かんきょう問題が国際的に取り上げられるようになると、一気にネガティブなイメージが噴出ふんしゅつします。これには、科学技術が実際にネガティブに作用することが増えてきたという面もたしかにありますが、メリットの方に対する感動がインフレを起こして、ありがたみが薄れうす てしまったという部分もあるように思います。

佐倉さくら統・古田ゆかり『おはようからおやすみまでの科学』による)
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