1絵画と音楽とが二〇世紀にたどっていった道と数学の歩みとは、もしかすると重なり合うことがあるかもしれない。現代数学の抽象性をキュービズムや無調音楽となぞらえて捉えたくなっても不思議ではない面が確かにある。2数学的対象のもつある側面を取り出して強調すること、とくにひとつの対象のもつ種々の側面を現代数学の立場から説明することは、ひとつの対象をさまざまな角度から見たものをひとつのカンバスに描くピカソの絵とどこか似かよっている。3また、例えば個々の関数のもつ性質を一切無視してヒルベルト空間の元と捉えるところにしても、無調音楽に通じる無機的なものを感じることができよう。4さらに、長い長い抽象的な議論を経て結論へたどり着くことの多い現代数学の議論は非人間的だと思いたくなることもあるだろう。そうした意味で、絵画や音楽に現れた時代の影響を見て取ることができる。
5しかしながら数学と音楽・絵画とは決定的に違う側面がある。それは数学のもつ普遍性である。数学の定理はひとたび証明されれば万人共通の真理となる。このことが過ぎると、カントの哲学のように数学の真理に対する誤った信頼さえ生じる。6われわれの住む空間はユークリッド幾何学の成立する空間であると頭から信じて哲学の基礎としたカントの強い影響力のもとで、非ユークリッド幾何学をガウスは用心深く隠す必要を感じていた。7数学者の無理解だけを恐れたのではなかったようである。われわれの住む空間の幾何学は物理の実験によって確かめることができるというリーマンの主張は、今日では当然のことと思われるが、当時は極めて勇気のいる主張でもあった。
8こうした数学に対する信頼は今世紀に入って数学が抽象的になるにつれてなくなっていった。たとえばユークリッド幾何学に対する感覚的信頼と類似の感覚的信頼を現代数学に対して持つためにはそれなりの訓練が必要となる。9ユークリッド幾何学にしても複雑な定理は決して感覚的に自明なわけではなく、こみいった証明が必要になる。そうした意味では同じ面もあるが、基礎的な部分では
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