1人種や民族、国民といった特殊な同一性は、歴史的に不安定な同一性であることを、まず、確認しておこう。そして、自由な競争が世界の人々に富をもたらすという新自由主義の掲げるバラ色の未来像と同じように、国民擁護のために地球化に反対するべきだといった発想も、私は非現実的であると考えている。
2なぜなら、狭義の地球化による貧富の差の拡大と階層化とを促進する新自由主義的な論理と、国民主義・人種主義は、同時進行しているからである。国民主義擁護ではない地球化批判の作業にとって、国民国家と地球化の共犯関係の歴史的考察が欠かせないのはこのためである。
3地球化の最近の進展は職業労働を再編し、習慣や感性の在り方を革命的に変更し、これまで用いられてきた国民統合のための制度や政策を時代遅れにしてしまった。
例えば、国民教育という制度。「均質な国民」を作るための教育という考え方。4そして「均質な国民」すべてが身につけることを期待された「国民文化」という理念。国民教育の頂点としての大学の自己正当化の基盤にあったこの理念は、世界の各地で失効しつつある。大学や教育の根本的な見直しが叫ばれているのは日本だけではない。
5といって、社会における学歴の重要性が失われたわけではない。個人の社会・経済的上昇可能性を予測する上で、階級的出自、人種、性別などの因子に比べて、学歴の占める位置がますます大きくなってきている。6学歴社会化は世界的な趨勢になっており、地球化の顕著な特徴である。そこで、自己責任と実力主義という新自由主義的な修辞によって、学歴社会化が正当化されようとしている。
7しかし、高学歴を持たない労働者の市場は縮小しつつあり、雇用の危機に絶えず脅かされる低学歴層の人々が大量に社会的に分離されマイノリティー(少数派)化する危険のまえで「国民」文化の欺瞞性がありありと見えてきたのである。
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