1私の住む島はずれの村々では、十人家族のうち二人に職があればいいほうだ。仕事のない多くの若者たちは、海辺で日がな一日サーフィンをして過ごしている。
日本もまたポリネシアのように、家族の誰にでも、村の誰にでも、役割があった社会だった。2これが、誰もが社会に欠かせぬ一員であるという、強い共同体意識と通じている。日本人にとって、社会の構成員はすべて家族の一員である。
日本は、資本主義のもたらした「ビジネス」に対しても、共同体意識で臨んできた。3そもそもビジネスとは、他者との間に成り立つべきものだ。それを共同体意識の内で行おうとしたところに無理がある。しかし、義理人情で繋がった取引、終身雇用制などによって、その無理を通してきた。
4もちろん資本主義の導入は、失業者をも生みだす。しかし失業者は、共同体意識の中では存在してはならない事象だ。日本人は巧妙に、この問題を避けてきた。失業者は社会の恥、家の恥、として、家族がかくまい、扶養してきたのだ。
5個人主義、競争意識の上に成立している欧米社会は、これとは基を異にする。失業は個人の問題。社会は失業者を「怠け者」とか「生活不能者」とかとみなす。そうみなされることによって、欧米の失業者は、個人として、社会の一端に位置することができる。6しかし、日本の失業者は幽霊のような存在だ。いるけど、いてはならない。見えるけど、見えない存在だった。だが、経済不況に見舞われた現在、この幽霊が実体化してきた。失業者をかくまってきた両親もまた職を失う危機にさらされているのだから致し方ない。7ここにきて、日本は、否応なしに失業者問題と対峙することになる。
しかし日本人は、失業者に対して、おまえが悪い、とはいえない。むしろ社会が悪いのだ、と考えてしまう。8そしてこの社会のどこが悪いのだ、と自らを見つめ直した時、私たちの共同体意識が、ビジネスとは相容れないことに気づかされるのだ。
現代日本は、社会とビジネスとの対立という根本的問題を突きつけられている。9この対立は、日本にとって死に至る病である。日本社会の中にも、日本人の精神性の内にも、この問題に対す
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