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 価値相対主義に基づく文化相対主義は、普遍ふへん主義が陥るおちい 自己中心性を掘りほ 崩しくず 特殊とくしゅな諸価値の併存へいそんを可能にする。現に二十世紀以来、積み重ねられてきたヨーロッパ近代の普遍ふへん主義からの脱却だっきゃくは、多元論的文化相対主義なくしてはありえなかった。ヨーロッパ近代の合理主義やその亜流ありゅうとも考えられるマルクス主義など、ヨーロッパ中心の普遍ふへん主義が次々と相対化されていったのが、二十世紀であった。
 例えば、シュペングラーやトインビーは、二十世紀初頭まで支配した一元論的なヨーロッパ中心史観を切り崩しき くず 、多元論的な相対史観を提出した。彼らかれ は、ヨーロッパ人の自己中心主義を批判して、ヨーロッパ文明の他の文明に対する絶対的優位を否定した。ヨーロッパ文明も、他の文明と相対的な位置にしかないことを明らかにしたのである。
 また、レヴィ=ストロースも、未開社会の研究を通して、その未開社会の文化が、その構造において、ヨーロッパの文化に劣るおと ものではないということを実証した。かれは、このことによって、ヨーロッパ文化の普遍ふへん性を打ち破り、ヨーロッパ文化も他の文化と同じ一つの文化にすぎないことを明らかにしたのである。
 このように、ヨーロッパ文明の絶対的優越ゆうえつやその自民族中心主義が批判され、あらゆる普遍ふへん主義の相対性が明らかになったことは、二十世紀の功績であった。二十一世紀があらゆる文化の相互そうご承認と共存の時代になるとすれば、それは、二十世紀以来の文化相対主義によるほかはないであろう。
 しかし、文化相対主義に落とし穴がないわけではない。文化相対主義では、普遍ふへん主義も、自己の所属する文化も相対化されるから、これが極端きょくたん化すると、何を拠り所よ どころとして生きていけばよいのか分からなくなる。文化相対主義は、多様な価値を認める多元主義に基づかねばならないのだが、これは、ややもすると、自己自身の所属する文化の価値への自信を失う方向へと傾きかたむ がちである。
 宗教にしても、言語にしても、慣習にしても、文化というものはそれぞれに型をもっている。その文化的風土に生まれ育った人間は、その型の中で自己自身のアイデンティティを形成する。そのこ
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とによって、人は、社会の不安定性や不確実性に耐えるた  精神的支柱をもつことができる。
 ところが、多くの文化が混在し、文化相対主義が蔓延まんえんするところでは、人々は、自分が拠り所よ どころとする文化の型や支柱を失い、自己喪失そうしつ陥りおちい 、不安な状態に投げ出される。価値の相対性を主張することは、それなりに正しいことであるが、しかし、それがあまりにも行き過ぎると、人々はバックボーンを失い、信念をもてなくなる。あらゆる文化が地理的風土を離れはな て地球上を飛び交う二十一世紀は、文化の混在からくるアイデンティティの喪失そうしつの時代になりかねない。
 この悪しき相対主義が行き過ぎると、人は極端きょくたんな価値相対主義に陥っおちい てしまう。それは、あらゆる価値体系は相対的であって、いかなる真理も疑われてしかるべきであり、不変の善や美など何一つ存在しないと考える。これは一種のニヒリズムである。本来は、閉じた共同体の中で、切り崩さき くず れることのない価値や信念の中で生きることが望ましいが、価値相対主義は、伝統的な道徳規範きはんをも蝕みむしば 、何が善であるかという信念をも切り崩しき くず てしまうのである。
 このような価値の無政府状態のもとでは、価値観がアトム化し、互いたが の間に共通性がなくなる。特に、若者は、価値の無政府状態のもとで、秩序ちつじょもなければ必然性もない気ままな生活をしながら、その日暮らしをしていく。(中略)
 なるほど、価値体系が時と所によって多様で相対的であるということは、古代ギリシアの昔から認識されていたことである。しかし、ニーチェの言うように、現代の文化は、確固とした神聖な原住地をもたず、あらゆる文化によってかろうじて生命をまっとうするよう運命づけられている。なるほど、ニーチェ自身相対主義を唱え、価値の破壊はかいを試みたのだが、しかし、同時に、かれは、確固とした価値を定立する必要も主張していたのである。

(小林道憲「不安な時代、そして文明の衰退すいたい」より)
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