1テレビゲームが伝統的なおもちゃと決定的に異なっている点とは、「遊び相手」として機能することである。宇宙人のいないインベーダー、追いかけてくる敵がいないパックマンは成立しない。2一人プレイのゲームでも、敵キャラがいないゲームでさえ、ゲームである限り、プレイヤーの行動はルールに照らし合わせてチェックされている。直接的な「相手」がいない場合でも、コンピュータは審判のような形で遊びをサポートしている。3つまり、テレビゲームとは、遊びに必要な三つの要素、遊び道具と遊び場、そして遊び相手が、すべて一体となったものなのだ。
4既存のおもちゃや道具の中にも、たとえばバッティングセンターのように、メカニカルな仕組みがヒトの代替として「相手をしてくれる」ものがないことはないが、対戦プレイの相手、あるいはチームの味方として「ヒトのようなふるまい」をすることはない。5また、テレビや本といった伝統的なマスメディアは、情報の伝達が一方向であるがゆえに、「相手をしてくれる」状態にはならない。電話のような双方向メディアは、常に実際のヒトを必要としてきた。6つまり、おもちゃであれメディアであれ、ヒト以外の存在が「ヒトのようにふるまい、相手をする」現象はこれまでなかった。
7機械に組み込まれたソフトウェアが「遊び相手」をすること、そしてソフトウェアであるがゆえに複製、大量生産が非常に簡単だったこと。これこそが、メディアとしてのテレビゲームのユニークさなのである。
8テレビゲームが既存のメディアとどう異なるのか、別の角度から明らかにするために、既存メディアの性質を比較してみたい。それぞれのメディアを、実際のヒトの行為に置き換えてみると、どのような状態といえるのだろうか。
9テレビ番組や映画の多くは、目の前で「演じているヒト」をメディアに載る形式にして複製したものである。音楽CDやラジオは「演奏するヒト」のメディア化であり、本、ラジオ、テレビは「演説」のメディア化ということができる。これらはすべて、舞台の上から一方向的に演じられる形式のものだ。
0テレビゲームはどうだろう。映像も音楽もテキストも含まれているため、「演じられる」部分もあるが、決定的な違いは、自分自身も舞台に立っていることだ。演じるのも演奏するのもゲームをす
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