1なりふりかまわず生きているとき、人間はまだ文化を持っていない。生きるなりふりに心を配り、人にも見られることを意識し始めたとき、生活は文化になる。喫茶のなりふりを気遣えば茶の湯が生まれ、立ち居ふるまいの形を意識すれば舞踊が誕生する。2文化とは生活の様式だが、たんに惰性的な習慣は様式とは呼べない。習慣が形として自覚され、外に向かって表現され、一つの規律として人びとに意識されたときに、文化は誕生する。
3ところで何かを意識し表現することの極致には、それを論じるという行為がある。舞踊が高度化すれば模範が芽生え、規範を意味づける主張が生まれ、やがてその延長上に舞踊論が成立する。4どんな生活習慣も掟を生み、掟は法に高まって法理論を形成する。文化が生活の意識化の過程だとすれば、その最後の到着点には文化論がなければならない。5文化論は文化についての後知恵ではなく、文化そのものが自己を完成した形態なのである。
古代ギリシャに政治文化が目覚めたとき、プラトンの国家論が世に出た。ギリシャ悲劇が完成したとき、それを評価するアリストテレスの演劇論が生まれた。6ルネサンスにも近代工業の黎明期にも、人間はそれぞれの同時代論を書き、それを書くかたちで自分を文化的存在として完結させてきた。
そういう観点から見たとき、二十世紀は旺盛な時代でもあり不毛な時代でもあった。7この百年ほど人間が自意識を強め、同時代論に関心を深めた世紀も珍しい。シュペングラーからジョージ・オーウェル、リースマンからダニエル・ベルと、世紀の前半にも後半にも優れた現代論が続出した。8しかし反面、二十世紀はこの自意識の鬼子ともいうべき思潮、内容的には正反対の二つの思潮が猛威をふるい、文化論の深化を妨げてもいたからである。
9一つはもちろんマルクス史観であって、これは経済の立場から歴史の法則なるものを設け、その法則を尺度に文化を善悪二つに分類した。進歩的と反動的に二分された文化は、その本来の多様性を認められる道を失った。0もう一つの弊害はこの一元主義とは逆に、蛸壺的な専門化の思潮から襲ってきた。人間の問題を考えるのに総合的な人間像を忘れ、学問の方法ごとに部分だけを見る努力が
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