1近年の思想界において著しく目に立つのは、知識の客観性というものが重んぜられなくなったことであると思う。始から或目的のために、成心を以て組み立てられたような議論が多い。2従って他の論説、特に自己の考に反する論説を十分に理解し、しかる後これを是非するというのではなくして、徒らに他の論説の一端を捉えてこれを非議するに過ぎない、自己批評というものは極めて乏しい。3単なる独断的信念とか、他の学説を丸呑みにしたものが多い。私は或動物学者から聞いたことであるが、ダーウィンの『種の起原』という書物は極めて読みづらいものである。4その故はダーウィンという人は、自己の主張に反したような例を非常に沢山挙げる。読み行く中にダーウィン自身の主張が分らなくなる位だというのである。私はこういう話を聞いて、非常にダーウィンという人に敬服した。5苟も学問に従事するものは、こういう心掛がなければならぬ、こういう誠実さがなければならぬ。知識の客観性といっても、私は或一時代に真理と考えられたものが、永遠不変だというのではない。6知識の客観性というのは、そういうことを意味するのではない。何千年来自明の真理と考えられたユークリッドの公理すら、自明でなくなった。しかしそれは単に変ったのではない。7ユークリッド幾何学が一層一般的な幾何学の一つの場合となったのである。今日の新物理学に対して、ニュートンの物理学でもそうである。数学は数学として、物理学は物理学として、それ自身の客観性を有っているのである。8哲学とか精神科学とかいうものは、数学とか自然科学という如きものと異って、各時代の社会的構造に支配せられるということは免れないであろう。しかしそれでも、それらのものも、単に変ずるものではない。9単にその時代の或目的以外に、何らの意味を有たないものではない。それが学問的真理と考えられるかぎり、それぞれの立場において永遠なるものに触れるということがなければならない。0如何なる時代に如何なる哲学的学問が発展したかということは、歴史的・社会的に説明せられるかも知らない。しかしその内容は単なる物質的存在から説明せられる
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