1数年前、F・フクヤマによる「歴史の終焉」をテーマとする論文が発表され、日本の言論界に、大きな反響を引き起こしたことは、なお記憶に新たなところであろう(「歴史は終わったのか」、月刊Asahi)。2フクヤマはその後、この論文を、さらに大部の著書へと発展させ、それも様々な議論を呼んだ。3フクヤマの論文は、十九世紀後半以降、世界の言論や思想と現実政治とをリードしてきたマルクス主義の歴史観の無効を公然と宣するものであり、とりわけ、冷戦の終了が語られ始めた時期に発表されたこともあって、多大な関心が寄せられることになったのである。4フクヤマによれば、冷戦が西側社会の勝利によって終結しつつあることは、資本主義社会の後に社会主義社会が到来するとしたマルクスの予言が誤っていたことを意味している。5すなわち、西側において、今日、既に成立しているか、あるいは成立しつつある自由民主主義的な統治と自由主義的な市場経済によって営まれるような社会こそが、歴史の進歩の最終段階に位置するものであり、6そうだとすれば、マルクスよりも、むしろ、彼に影響を及ぼしたヘーゲルによる世界史の構想の方が、現実の歴史の進行により、適合的であるということになる。
7実際、明治期以来、「文明」であれ、「社会主義」であれ、そして、「近代社会」であれ、こうした観念は、いずれも、特定の理想の社会についての理念を表現するものであり、かつ、そうした理想に向けての進歩の過程に関しても、具体的な発展の段階や経過を示す図式が与えられていた。8しかも、こうした発展の図式は、その到達目標が欧米その他の社会で既に実現されているものとされることで、より一層のリアリティを保っていた。9そして、日本の現状が問題になる際、こうした図式に照らしてそれを批判したり、あるいは将来に向けての行動を考慮するということが、いわば自明の前提になっていたのである。0しかるに、「歴史の終焉」という事態は、そうした発展の図式を提供してくれるものは、もはやないということを公然と告知するものであった。すなわち、遠い将来を展望した大いなる時間についての見取図を、われわれは、見失うことになったのである。F・フクヤマの言う「たいへん悲しい時期」、また「長く退屈な時代」は、そうである以上に、われわれ日
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