a 長文 7.2週 wapi2
 人間が自分の行っている活動から充実じゅうじつ感を得たいと考えること、あるいは自分が生きていることに「張り合い」を感じたいと思うことは、きわめて自然で普遍ふへん的なことだと言って良いだろう。親が子どもの順調な成長ぶりを見て、自分の養育活動に充実じゅうじつ感を持つことも、会社員が自分の仕事の結果によって会社の業績が上がったことを喜ぶことも、ともにいつの時代にも見られる「生きがいの探究」と考えて良いはずだ。だが、にもかかわらず、「生きがい」という言葉の意味合いは時代によって微妙びみょうに変化してきたし、その微妙びみょう違いちが こそが重要なのではないか。
 たとえば、現代においてボランティア活動を行っている人々と、かつて学生運動を行っていた人々とでは、同じように「生きがい」を感じていたとしても、その「生きがい」を求める姿勢それ自体が違っちが ているように私には思われる。だから私は現代の「生きがいの探究」の意味について、こうした時代による意味の違いちが にこだわって考えることにしたい。
 いま例に出したような、学生運動をしていたような戦後日本社会の青年たちは、「生きがい」を自分の衣食住に関わる私生活や、それを維持いじするための稼ぎかせ 仕事ではなく、今よりももっと理想的な社会を作りだすための公共的な活動に求めていた。そうした活動に自己犠牲ぎせい的に没入ぼつにゅうすることによって、自分自身の社会的・実存的な存在意義を高めること。そうした理想主義的で前向きな行動が、彼らかれ の感じていた「生きがい」だったと思われる。
 そして実は、そうした理想を志向する「生きがい」感は、彼らかれ 軽蔑けいべつしていたような、同時代のごく平凡へいぼんな日本人にも共有されていた感覚だったと言える。なぜなら彼らかれ もまた、自分の生活状態に満足することなく、今よりももっと豊かな生活を「理想」として目指すことに「生きがい」を感じていたからだ。だからこそ、彼らかれ はあくせくと働いてお金を稼ぎかせ 黙々ともくもく 辛いつら 家事労働をこなすことができたのだ。つまりいずれにせよ、理想実現のために行動することが一九六〇年代までの日本社会の「生きがい」だったと思われる。
 しかし、一九七〇年代から八〇年代にかけて、このような「生き
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がい」感は大きな変貌へんぼう遂げと た。もはや人々は、未来の理想的状況じょうきょうのために現在を犠牲ぎせいにして活動することには「生きがい」を感じなくなったのである。今ここで得られる快楽を犠牲ぎせいにして、やってこない理想の未来のために馬車馬のように走り続けることの一体どこに充実じゅうじつ感があるのだろう。それよりも、欲望のままにブランド物の洋服を着て、豪華ごうかなレストランでの食事を楽しんだ方が、よほど自分の人生をその瞬間しゅんかんにおいて充実じゅうじつさせることになるのではないか。そう人々は考えはじめた。つまり彼らかれ は、その時その時の「現在」における即時そくじ的な快楽の充足じゅうそくに「生きがい」を感じ出したと言えよう。(中略)
 そして、一九九〇年代以降、不況ふきょうとなって消費生活が縮減され、阪神はんしん大震災だいしんさいによって豊かな消費生活の底の浅さが露呈ろていされてしまうと、人々は再び「生きがいの探究」に向かい始めたように見える。たとえばボランティア活動の普及ふきゅうは、人々が単なる私的欲望の充足じゅうそくだけでなく、自己犠牲ぎせい的な公共的活動に「生きがい」を見いだしている証拠しょうこだと言えよう。
 しかしやはり、そこにはかつての「生きがいの探究」とは微妙びみょう違いちが があるように私には思える。つまり現在の人々は、他者のために行動することに喜びを見いだしているというよりも、他者のためのボランティアをまるで「自分のため」に行っているように見えてしまうのだ(その真面目さを疑うわけではないが)。(中略)
 つまり「生きがいの探究」はいまや、未来の自分や社会を作りだすような理想志向的な活動ではなく、現在の日本社会の奇妙きみょう閉塞へいそく感を反映した、後ろ向きの活動になってしまっている。だから私たちは、「生きがいの探究」という美化された物語に簡単に乗るよりも、それを疑うところから「自分探し」の自閉空間を切り裂くき さ 可能性を見つけるべきだろう。

(長谷正人「生きがいの探究」から)
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