1もう一つの体験は、彼の目の前で起きたイスラーム教徒の殺人であった。センが住んでいた地域一帯でヒンドゥー教徒とイスラーム教徒の暴力的な抗争が激化している中、イスラーム教徒の日雇い労働者だったその男は仕事をなくし、家にあった食べ物も底をつき、家族は飢えていた。2それでやむをえず、彼はわずかな報酬と引き替えに薪をとどけるため、抗争のまっただ中をヒンドゥー教徒の居住する地区に出てきたのだった。3通りでヒンドゥー教の暴徒に背中を刺されたその男は、センの家に助けを求めて転がり込んできたのだが、結局病院に運ばれる途中で死んでしまったという。
4ここでもまた「出来事」はそれだけで十分に悲惨だ。しかし単なる悲劇ということをこえて、同じ暴力的抗争という事態の中で、なぜイスラーム教徒だけが仕事を失うことになったのか、なぜ彼が危険を冒さなければならないような状況に陥ったのかということを考えれば、5たとえ暴力的抗争という特別な事態でなくても、日頃からイスラーム教徒がヒンドゥー教徒に比べて不安定な職にしか就いておらず、何かあれば職を失いやすいような境遇にあったという社会的状況が見えてきただろう。6先の飢饉の場合と同じように、同じ境遇や条件の中であってもそこには変化に対して影響を受けやすい「誰か」がいるのであり、いったん社会的な変動が起これば、その「誰か」が真っ先に被害を被ることになる。7そしてその「誰か」は、決してでたらめに出てくるのではない。特定の地域の人々やなんらかの職業集団といったかたちでまとまって、以前からそこにあった社会的条件と関係しながら、そのような人々が「選びだされて」いってしまう。8飢饉だからといって皆が飢えるわけではなく、暴動だからといって誰もが殺されるわけでもなく、このように同じ状況下にあるからといって、誰にでも同じように惨禍がふりかかるわけではないのだ。
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