1貧困な層の定義として世界銀行等でふつうに使われるのは、一日あたりの生活費が一ドルという水準である。一九九〇年には、この貧困ライン以下に一二億人が存在していたという。2世界銀行はこのほかに、極貧層として、年間所得二七五ドル(一日あたり七五セント)以下というカテゴリーをつくった。このカテゴリーにふくまれる人びとは、一九九〇年で六億三〇〇〇万人であり、発展途上国の人口の一八%にのぼるとされる。貧困のこのようなコンセプトは正しいだろうか?
正確にいえば、現実の構造を的確に認識する用具として、適切な定義の仕方といえるだろうか? 同じような資料は多いので、たまたま最近目にふれたありふれた事例の一つをとりあげてみよう。3中国南部の少数部族ヤオ族の族支、巴馬瑶族の人たちの暮らす村々は、一〇〇歳をこえて元気な人たちの多い地域として知られるが、調査の対象となった一〇五歳の男性は、長生きの原因は「悩みがないこと」だろうと言っている。4県の「老齢委員会」は長寿の原因として「1、温暖な気侯と汚染のない空気、2、食物が自然のもので、低脂肪、高栄養価であること、3、長年の畑仕事で体がきたえられ、飲酒、喫煙率が少ない」ことを挙げている(朝日新聞一九九五年九月四日記事)。5「高栄養価」という食物は、「トウモロコシの粉と米のおかゆ、野草やサツマイモ、カボチャの茎、大豆などのスープやいためもの。肉は三日に一回の割合。」というものである。6長寿が幸福とは限らないが、九〇歳代くらいまでは元気で「悩みがない」ということは、よい人生だろうと想像する方が素直だろう。7この巴馬瑶族の地域の一人あたり平均年収は四八〇〇円(一九九五年)で、一日あたり〇・一三ドルくらいである。
アメリカの原住民のいくつかの社会の中にも、それぞれにちがったかたちの、静かで美しく豊かな日々があった。8彼らが住み、あるいは自由に移動していた自然の空間から切り離され、共同体を解体された時に、彼らは新しく不幸となり貧困となった。経済学の測定する「所得」の量は、このとき以前よりは多くなったはずである。9貧困は、金銭をもたないことにあるのではない。金銭を必要とする生活の形式の中で、金銭をもたないことにある。貨幣から
|