1バルカンの歴史は宿命であるのだと、かの地のナショナリストは言う。たとえば、クロアチア人ならこう説明するだろう。バルカンで流血が繰り返されるそもそもの原因は、自分たちクロアチア人が本質的にカトリックで、2もとはといえばオーストリア=ハンガリー帝国の統治を受けたヨーロッパ人であるのに対し、セルビア人は本質的に東方正教徒であって、もとをただせばビザンチンのスラヴ人しかもトルコ人の残虐性と怠惰をも少しく受け継ぐ連中であるからだと。3クロアチアとセルビアの国境をなすサヴァ川とドナウ川は、オーストリア=ハンガリー帝国とオスマン帝国のかつての境界線である。
4この歴史における断層があまりに強調されすぎると、セルビア対クロアチアの抗争は必然の運命として片づけられることにもなる。だがバルカン地域の問題は、過去が現在を決定するというよりは、現在が過去を操っていることにあると言えよう。
5かつてフロイトは、二人種間の違いが実際には小さければ小さいほど、その差は想像のなかで不気味に増幅されていくと主張して、この現象を「微差のナルシシズム」と呼んだ。6だとすれば、その当然の結果として、彼らは相手との比較においてしか自己確認できなくなるはずである。自分はクロアチア人だ、セルビア人とは違う。自分はセルビア人だ、クロアチア人とは違う、といった具合に。7憎悪する敵なしには、信仰にも似た鮮明な民族意識は芽生えようがないのである。
クロアチアでは、フラニョ・トゥジマン率いるHDZ(クロアチア民主共同派)がみずからを、バイエルン・キリスト教民主党を手本とした西欧型政治団体と名乗っているが、8現実には、トゥジマン政権はセルビアのスロボダン・ミロシェヴィッチ政権と似通っており、両者とも、西欧型議会政治とは似ても似つかぬものである。いずれも、つい先頃まで共産党一党支配の国だった。9現在、民主的であるというなら、それは、リーダーたちが庶民感情を操るすべに長けているという意味においてでしかない。部外者はみな、セルビア人とクロアチア人の違いにではなく、ほとんど見分けのつかな
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