a 長文 7.1週 wapi
 顔パスという言葉がある。「おれだ」「よし」という阿吽あうんの呼吸で、本来は規則として処理するところを当人どうしの個人的な関係で処理する方法である。なれ合いというと聞こえは悪いが、人間どうしの信頼しんらい関係を基礎きそにしている点で最も確実な方法とも言える。現代の法律や規則万能の社会では、このような人間の信頼しんらい関係に基づいた対応の仕方がもっと見直されてもよいのではないだろうか。
 そのための第一の方法は、相手を信じるだけの心の広さを持つことだ。信頼しんらいするということは、相手に自分をゆだねることである。場合によっては、自分が大きな損失を被るこうむ こともある。それにもかかわらず、相手にすべてを任せて信頼しんらいする。そういう決意があるからこそ、相手も自分を信頼しんらいしてくれる。ジャン・バルジャンは、自分を信じてくれた老司教を裏切った。しかし、翌朝憲兵に連れられてきたジャンに、司教は、「その銀の食器は私が与えあた たものだ」と告げる。このように、相手の善なる心に対する絶対の信頼しんらいが、人間らしい心をもとにした社会の基礎きそとなる。
 また、第二には、そのような人間どうしの信頼しんらいを支えるだけの社会の一体性を作ることだ。日本の社会の治安のよさは、世界の中でも際立っている。タクシーの中へ置き忘れた財布は、ほぼ確実に戻っもど てくる。日本人にとっては当たり前のように見えるこのようなことが、世界ではきわめてまれなことなのである。そういう社会が築かれたのは、日本が一つの民族、一つの言語、一つの文化を持った社会だったからである。異なる民族や文化と共存することはもちろん大切だが、それは日本の社会の中に異なる民族や文化が異質なまま広がっていいということではない。
 法と正義に基づいて判断するという考えは、確かに人類が長い歴史の中で勝ち取ってきた権利だ。だからこそ、この考えは世界のどこでも通用するグローバルな思想となっている。しかし、そのグローバリズムは、日本のように互いたが 信頼しんらい関係をもとに成り立ってき
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た社会では、人間の心を持たない冷たい機械のような対応に見える。大岡越前守おおおかえちぜんのかみが日本人に人気があるのも、人間の心の温もりを裁き方の中に生かしたからだ。顔パスで交わされるものは、単なる顔ではなく、互いたが の善意への信頼しんらいなのである。

(言葉の森長文作成委員会 Σ)
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