a 長文 12.4週 tu
 Kがのぼれるかぎりの高いところまでのぼりついて、ほっとひと息ついたとき、かん高い声で話しあう水夫すいふたちの声がしだいに近づいてきた。
 Kはえだのしげみに、身体をかくすようにして彼らかれ の声に注意を配っていた。
 水夫すいふたちが、家の前にあらわれた。
 水夫すいふたちは、声高にしゃべりあっていた。
 ひとりの黒人が、入り口の戸があいているのを発見して、指をさしながら大声で仲間なかま告げつ ていた。
 水夫すいふたちは雨戸をたたいたり、交互こうごに入り口から中をのぞいたりした。しかし、だれ一人として一歩も中に入ろうとする者はいなかった。
 Kはそれを見て、彼らかれ が悪者でないことを心に感じとった。
 家の中から、何の返事もないので、水夫すいふたちはすごすごと通路にひきかえし、また、つぎの家へおしかけていこうとした。
 水夫すいふ一群いちぐんの中で、いちばん最後さいごに、入口をのぞいた男が榕樹ようじゅの下を通りすぎようとして足をとめた。その男はズックせいのからバケツをさげていた。ほかの水夫すいふたちより少し年をとった白人であった。かれはズックのバケツを下におき、ポケットからしわくちゃのハンカチをひっぱりだして、顔や、首や、シャツからはだけたむねや、うであせをふいた。オールのように太いうでは日やけして、金色の毛がいっぱいに生えていた。この水夫すいふ榕樹ようじゅのかげで少し涼んすず でいくつもりらしかった。
 あんのじょう、かれ煙草たばこをとりだして火をつけた。
 Kは息をのんで、見つめていた。
 男は、煙草たばこをうまそうに、ひと口すいこむと、ふいに上を向いて、榕樹ようじゅ眺めなが まわした。
 Kがあわてたしゅんかん、持っていたえだがゆれて、葉が、かすかではあるが、音をたてた。
 Kと西洋人の水夫すいふは、視線しせんをあわせてしまっていた。
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 水夫すいふは、両手をさしのべて、Kをうけとめてやろうというようなしぐさをした。そして目にはやさしい笑いわら 浮かべう  ていた。
 Kは決心をして、そろそろおりはじめた。
 おりている途中とちゅう、西洋人が何か一言、二言いった。きっと、「気をつけなさい」といってくれているのにちがいなかった。
 Kは地面におりたって、きまり悪そうな顔をしていると、船員はほほえみながら、手をさしだした。うでには金色の毛が生えている。
 男は、ズックのバケツを指さして、何か話した。
 Kは、言葉にはわからなかったが、水をほしがっているのだということに気がついた。
 Kは、バケツを持って井戸いどばたへ案内あんないした。
 その男は、大声を出して仲間なかま呼びよ 集めた。水夫すいふたちは騒ぎさわ ながら、ひきかえしてきた。彼らかれ は、大げさすぎるほどの表情ひょうじょう喜びよろこ の気持ちをあらわしていた。
 Kがつるべで水をくもうとすると、水夫すいふたちは、いっしょに手伝ってつだ て、勢いいきお よくくみあげた。そしてズックのバケツにいれて、かわるがわる馬のように水を飲んだ。何べんもつるべでくみあげて、全員がたっぷりと水を飲んでから、バケツに水を満たしみ  てひきあげた。帰りぎわに、Kはもう一度、少し年をとった水夫すいふ握手あくしゅした。
 エビア号の船員たちは、三週間ほどたって、村から姿すがたを消した。
 Kは最初さいしょの夕方、エビア号を見て以来いらい、美しい帆船はんせん姿すがたを二度と忘れるわす  ことはできなかった。

庄野しょうの英二えいじ「白い帆船はんせん」)
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