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 日本の大地に根をおろしたいねは、たくさんのみのりをあげてくれました。たくさんとれれば倉庫そうこにたくわえ、保存ほぞんすることができました。
 人口もふえていきました。すこしばかり異常いじょう気象きしょうがきても、もう以前いぜんのように、餓死がしするようなことは、すくなくなっていったからです。
 人口がふえれば、もっとおおぜいの力をあわせることができました。いままでよりも大きな川から、水を引くことができました。もっとたくさん、水田をひらくことができました。すると、もっとたくさんお米をつくることができました。
 倉庫そうこのたくわえも、どんどんふえていきました。
 こうして、十人の人をやしなうのに、八人の労働ろうどうでまにあうようになったとき、あとのふたりは王や貴族きぞくになることができました。宗教しゅうきょう家になり、芸術家げいじゅつかになり、学者や技術ぎじゅつ者や医者になり、商人になることができました。
 余分よぶんのお米があれば、よその村でつくったべつの品物と、こうかんすることもできました。米づくりのための道具、くわやすきや、道具をつくるための鉄などと、こうかんすることもできました。ぬのや着物とこうかんすることもできました。神に祈りいの をささげるためのまが玉や、首かざりや、その原料げんりょうの石ともこうかんすることができました。金、銀、どうなどのたからものや、動物の毛皮とも、こうかんすることができました。
 米を運ぶための船。その船ともこうかんすることができました。
 食糧しょくりょうがたくさんとれるということは、なんとすばらしいことでしょう。
 毎年毎年おなじように、つくれるということも、なんとありがたいことでしょう。
 そして、保存ほぞんできるということも、なんとたいせつなことでしょう。
 文明というものは、このようにしてしだいしだいに発達はったつしていったのです。村々も、しだいしだいに大きくなっていったのです。
 「農業は文明の母である。」といわれています。それは、このような意味からです。
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 さて、米づくりがさかんになるとたくわえのある村とそうでない村とのができるようになりました。たくわえのある大きな村がまずしい小さな村をのみこんで、より大きな村になっていきました。戦争せんそうです。
 米づくりのための水。そのいのちの水をもとめて、どれほどたくさんの水あらそいが、くりひろげられたことでしょう。ゆたかな水源すいげんを手にいれた村は、よりゆたかに、より大きくなることができました。
 佐賀さが県の吉野ヶ里よしのがり遺跡いせきからは、矢の刺さっさ  人骨じんこつや、頭のない人のほねなどが出土しています。水をもとめて、きっとはげしい戦争せんそうがくりかえされたにちがいありません。
 こうして、力の強い大きな村が力の弱い小さな村をのみこんで、より大きな村になっていきました。大きな村々がやがてひとつになって小さな王国になっていきました。
 六世紀せいきごろまでに日本のあちこちに、そんな小王国がいくつもできるようになり、それはやがてひとつに統一とういつされて、「日本」という国がつくられていくのです。

 (富山とみやま和子ちょ「お米は生きている」より)
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