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 第四に、お米はせまい土地でも、たくさんつくることができました。そのうえ、毎年毎年おなじように、つくることができました。
 土は生きものです。つかえば、そのぶんやせていきます。
 たとえばヨーロッパでは、小麦をつくります。でも、毎年毎年おなじ畑につくることはできません。一年畑をつかったら、あとの二年は牧草ぼくそう地にしたり、肥料ひりょうになる作物を植えたりして、土地を休ませます。そんなふうにして土の力を回復かいふくさせてから、つぎの年、また小麦を植えるのです。
 ところが日本ではおなじ土地に、毎年毎年、お米がつくれます。もう二千年も、それ以上いじょうもの年月、そのようにして米づくりがつづけられてきたのです。日本へきたヨーロッパの専門せんもん家たちは、「信じしん られない。」と、びっくりするほどです。
 そのひみつは水田の「水」にあります。水田に引かれる水には、川が山から運んできた森林のゆたかな土の養分ようぶんがふくまれていて、たえず土をおぎなってくれたからでした。
 第五に、お米は、おいしかったのです。
 お米そのものがおいしいから、おかずをあまり気にせずにすみました。梅干しうめぼ や、ほんのわずかのつけものなどがあれば、ごはんを食べるだけで十分満足まんぞくできました。
 こんなにもたくさんの、長所をもっているお米。
 ですからお米は、いまも、「世界のあらゆる食糧しょくりょうの中で、もっとも理想てきなもの。」といわれています。
 そんなすばらしいいねが、やってきたのです。
 縄文じょうもん時代のおわりごろのことでした。
 いねは、海のむこうから、やってきたのでした。
 お米には大きくわけて、ジャポニカとインディカという二つの種類しゅるいがあります。まるくてねばりがあるのがジャポニカで、わたしたちの食べているお米です。これに対して、長くてばさばさしているのがインディカで、日本以外いがいの多くの人たちが、食べているお米です。
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 そのジャポニカのふるさとは、中国の長江ちょうこう揚子江ようすこう)の流域りゅういきだとみられています。
 中国の古都、紹興しょうこうの近くに、河姆渡かぼと遺跡いせきという遺跡いせきがあります。この遺跡いせきからは七千年もむかしのいねが発見されているのです。ですから、このあたりでつくられていたいねが東へ東へと伝えつた られ、人と技術ぎじゅつといっしょに海をわたって、日本へやってきたのかもしれません。

 (富山とみやま和子ちょ「お米は生きている」より)
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