a 長文 9.3週 ti
「くッくッくッ。」
とかしらは、笑いわら 腹の中はら うちからこみあげてくるのが、とまりませんでした。
「これで弟子たちに自慢じまんができるて。きさまたちが、ばかづらさげて、村の中をあるいているあいだに、わしはもう牛のをいっぴき盗んぬす だ、といって。」
 そしてまた、くッくッくッと笑いわら ました。あんまり笑っわら たので、こんどはなみだが出てきました。
「ああ、おかしい。あんまり笑っわら たんでなみだが出てきやがった。」
 ところが、そのなみだが、流れて流れてとまらないのでありました。
「いや、はや、これはどうしたことだい、わしがなみだを流すなんて、これじゃ、まるで泣いな てるのと同じじゃないか。」
 そうです。ほんとうに、盗人ぬすびとのかしらは泣いな ていたのであります。――かしらは嬉しかっうれ   たのです。じぶんは今まで、人から冷たいつめ  でばかり見られてきました。じぶんが通ると、人々はそらへんなやつが来たといわんばかりに、まどをしめたり、すだれをおろしたりしました。じぶんが声をかけると、笑いわら ながら話しあっていた人たちも、きゅうに仕事のことを思いだしたように向こうをむいてしまうのでありました。池のおもてにうかんでいるこいでさえも、じぶんが岸に立つと、がばッと体をひるがえしてしずんでいくのでありました。あるとき猿回しさるまわ 背中せなかに負われているさるに、かきの実をくれてやったら、一口もたべずに地べたにすててしまいました。みんながじぶんを嫌っきら ていたのです。みんながじぶんを信用しんようしてはくれなかったのです。ところが、この草鞋わらじをはいた子どもは、盗人ぬすびとであるじぶんに牛のをあずけてくれました。じぶんをいい人間であると思ってくれたのでした。またこの牛も、じぶんをちっともいやがらずおとなしくしております。じぶんが母牛ででもあるか
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のように、そばにすりよっています。子どもも牛も、じぶんを信用しんようしているのです。こんなことは、盗人ぬすびとのじぶんには、はじめてのことであります。人に信用しんようされるというのは、なんといううれしいことでありましょう。……
 そこで、かしらはいま、美しい心になっているのでありました。子どものころにはそういう心になったことがありましたが、あれから長い間、わるい汚いきたな 心でずっといたのです。久しぶりひさ   でかしらは美しい心になりました。これはちょうど、あかまみれの汚いきたな 着物を、きゅうに晴れ着にきせかえられたように、奇妙きみょうなぐあいでありました。
 かしらのからなみだが流れてとまらないのはそういうわけなのでした。

(新美南吉なんきちちょ 「花のき村と盗人ぬすびとたち」より)
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