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 牛のお通りで電車がとまる――牛をうやまうインドの人――

 町のまん中で、なにかじけんがあったのでしょうか。いままで走っていた電車がとまってしまいました。自動車じどうしゃも、うごきません。
 人ごみをのぞいてみますと、牛が二頭、一頭は電車のせんろに、一頭はそれとならんで、のんきな顔つきで、ねそべっています。
「こまったなあ。はやくどいてもらわなくては、通ることができない。」
と、電車の車しょうも、自動車じどうしゃのうんてん手も、こまった顔です。
 つなをつけてひっぱるとか、ぼうでおいはらったらよいとおもいますが、だれも、そんなことをしようとおもわないようです。
 そのうちに、牛はゆっくりとおきあがって、町の大通りを、さんぽでもするように、のそのそとあるいていきました。電車も、自動車じどうしゃも、なにごともなかったようにうごきだしました。
 これは、日本のはなしではありません。インドのカルカッタという町での、できごとなのです。
 インドでは、こういったことはたびたびみられます。インドの人たちは牛をたいへんだいじにします。だいじにするというよりも、牛を、神さまかみ  が、かりにすがたをあらわしたものだとおもってうやまうのです。
 ですから、カルカッタの町にはなん百頭という牛が野ばなしで、まい日、のそのそとあるきまわっています。
 町の人たちは、まい朝、その牛に、たべものをささげます。
 ときには、牛が店さきのたべものなどを、しっけいすることもありますが、それでも、おこって牛をおいはらうようなことは、けっしてしません。牛が、通り道にねころんで、通りをふさいだりしていても、牛がうごきだすまで、のんびりと、まっているのです。
 インドでは、たいていの人がヒンズー教というおしえをしんじていますが、ヒンズー教のしんじゃたちは、牛ほどやくにたつ動物どうぶつはないとおもっているのです。

(「世界せかいふしぎめぐり三年生」より抜粋ばっすい
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