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 このところ日本では園芸が大はやりであるが、花木や草花の名称めいしょうが大変な勢いで外来語に置き換えお か られている。旧来の日本の花の名は美しく風雅ふうがなものがほとんどであるのに、たとえば彼岸花ひがんばなの類はリコリス、胡蝶こちょうらんはファレノリプシスといった具合に、年ごとに言い換えい か の数が増えていく。
 もともと気候風土の関係で、日本は植物の種類の豊富さにかけてはヨーロッパのどの国よりも恵まれめぐ  ていた。そのうえ、古くから古代中国の影響えいきょう本草学ほんそうがくが発達し、また江戸えど時代の園芸の興隆こうりゅう、茶道の普及ふきゅうなどのおかげで、日本の草花の名は英語などに比べると、それこそ比較ひかくにならぬぐらい、味のある巧妙こうみょうなものが多かった。
 これに反し、花木や草花が決定的に少なかった英国では、当然の結果として固有の植物名が乏しくとぼ  、したがって新たに植物に名をつけるときは、学問的なギリシャ語やラテン語に頼らたよ ざるを得ない。その難しい英語名を日本人が外来語として取り入れた結果、一度や二度聞いたのでは覚えることもできない、紛らわしくまぎ    言いにくい名前が、花屋の店頭やテレビ園芸の時間などに、次から次へと現れてくることになった。
 四季咲きしきざ と言えばだれでも分かるのにセンペルフロレンスとなると、ラテン語の知識のある人なら問題がないが、一般いっぱんの人、殊にこと 園芸愛好家の高齢こうれいの人には、何やら呪文じゅもんめいて正しく発音することも難しい。風車と言えば花の形をうまくとらえた巧妙こうみょうな名と感心できるし覚えやすくもあるのに、クレマチスでは何の見当もつかない。彼岸花ひがんばなならば、花の咲くさ 季節との関係でだれにでも分かりやすいのに、それをどうして呼び換えるか  必要があるのだろうか。
 このような現象の背後に、絶えず新しさを求め続ける日本人の積極性を認める人がいるかもしれない。私もその精神は評価すべきだと思うが、それにしても、このような意味不明のなぞめいた外来語で、ほとんど芸術的とさえ言える美しく巧みたく に工夫された従来の和名を置き換えお か て、いったいだれが得をすると言うのだろうか。
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新奇しんきさを求める心が一概にいちがい 悪いとは言えないが、この園芸の分野に見られるような、行き過ぎた外来語の流行はやめてほしいと思う。「バラの花はどんな名で呼ぼうと変わりなくにおう。」というシェイクスピアのロミオの言葉を、日本人は改めて思い起こす必要がある。

鈴木すずき孝夫「教養としての言語学」による)
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