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 島崎しまざき藤村とうそんの事を考えると、私の頭に先ず浮かんう  で来るのは、「夜明け前」の出版祝賀会の席上で、氏が諸家の祝賀の言葉に対して答えた挨拶あいさつを述べた態度である。
 人々のテーブルスピーチが終わると、藤村とうそん感慨かんがい耽りふけ 込んこ だような、そのために少しぼんやりしたような顔附かおつきで静かに立ち上がり、暫くしばら うつむき加減に黙っだま たたずんでいたが、やがて顔をもたげ、太いまゆをきりりと上げて、そしてゆっくりした口調でこういったのである。
「わたしは皆さんみな  がもっとほんとうの事をいって下さると思っていましたが、どなたもほんとうの事はいって下さらない……」
 そのまままた眼を伏せふ 暫くしばら 黙っだま てしまった。人々は粛然しゅくぜんと静まり返った。
 実際諸家の言葉は月並でない事はなかったが、由来こういう出版記念会などにいわれる言葉は、普通ふつう作者に対する祝賀の言葉かねぎらいの言葉かであるのが例なので、そういうものとして無神経に聴きき 流してしまえば、別段とがめ立てしなければならないものでもなかったように思われる。しかしそれをほんとうに聴きき 、その中から自分の努力に対する忌憚きたんなき批評をほんとうに探ろうという気になれば、諸家の言葉が余りに形式的である、月並なお世辞であったという事が、藤村とうそんの心を寂しくさび  したとしても、これまた無理ではないかも知れないという気がする。
 それは藤村とうそん流の静かないい方ではあったが、何処かにぴしりと人を打つような辛いつら ものを含んふく でいた。月並なお世辞に対する苦笑に充ちみ 抗議こうぎを持っていた。それだから突然とつぜん叱らしか れたといった感じが黙り込んだま こ だ人々の顔に現れたわけである。実際叱らしか れて見れば、もっともの話である。叱らしか れなかったら叱らしか れなくても好いようなことだけれども、叱らしか れて見るとその理由がない事はないので、急に人々はえり掻きか 合わせて坐りすわ 直さなければならなくなったと云っい た感じであった。
 藤村とうそん暫くしばら 黙っだま た後で、再び顔をもたげ、太いまゆを再びきりりと
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上げ沈んしず だ調子で言葉を継いつ だ。
「大体わたしという人間は、人に窮屈きゅうくつな感じを与えるあた  のですか、近づき難いような感じを与えるあた  のですか、だれもわたしに近づいてほんとうの事を云っい てはくれません……実は決してそうではなく、わたしは人に近づきたいのですけれど……」(中略)
 氏はそこで語調を変えて、人々の方を見まわし、こう結語としていった。
「今夜のように盛大にわたしのために皆さんみな  に集まって頂こうとは、わたしには全く思いがけない事でした。わたしはわたしのために皆さんみな  に集まって頂いた事がわたしの生涯しょうがいにもう一度ありました。それはわたしが洋行した時の事です。わたしは前の新橋の停車場から発って行きましたが、田山君や柳田やなぎだ君が途中とちゅうまで送ってくれるといって、一緒いっしょに汽車に乗り込んの こ で来ました。その時柳田やなぎだ君がわたしに向かってこんな事をいったのです。『人間がこうして自分のために沢山たくさんの人に集まって貰うもら のは、まあ洋行する時ぐらいのものだね。それともう一つある。それはその人間の葬式そうしきの時さ』と。……わたしは今夜皆さんみな  がこうして集まって下さった事を、わたしに対する文壇ぶんだんの告別式だと思っています」
 右の藤村とうそん挨拶あいさつは、その時も今も私の頭に相当強い印象を残している。私はたゆまずに一歩一歩と、意志的に自分をむちうちつつ、とうとう書きたいものをみんな書いてしまったという強い自信を持った人でなければ、そういう言葉はいわれないと思った。書きたいものをみんな書いてしまったと、静かに云いい 切れる作家を目の前に見たという事は、私には全く一個の驚異きょういであった。私はその事に深い感動を受け、暫くしばら はその感動のために、自分が圧迫あっぱくされるのを感じた程である。

広津ひろつ和郎かずお藤村とうそん覚え書き』)
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