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 文章を読んでいて、いっていることが全面的に肯定こうていされるのではない、また、当面必要なことでもないけれども、じっとしていられないような興奮を覚えることがあって、そういうとき、「刺激しげき的」という形容詞が使われる。刺激しげき的」とはどういうことか。
 かりに、本を円周のようなものだと考えてみる。読者はゆっくりその円に添っそ て走り出す。だんだん速度が加わってくると、はじめのように円に即しそく ているのが困難になり、カーヴでは外へ飛び出そうとするかもしれない。
 刺激しげき的」とは、そういうカーヴをたくさんもった本ということになろう。
 読者が予期するようなところへ展開するなら、快感はあっても、刺激しげきはすくない。逆に、読者の意表をつくようなことがつぎつぎあらわれると、読者はその都度、タンジェントの方向へ飛び出そうとして、そこに緊張きんちょうをかもし出す。それが刺激しげき的と感じられる。
 脱線だっせんしかけるときに創造のエネルギーが生まれる。直線レールの上を静かにおとなしく走っていれば脱線だっせんの危険もないかわり、軌道きどうの外へ出たくても出られない。無理なカーヴを大きなスピードで走り抜けよはし ぬ  うとすれば脱線だっせんするかもしれないが、そこに、新しい道のできるチャンスもある。安全な軌道きどうを選ぶか、危険なカーヴの多い道を選ぶかは好みにもよるが、発見に便利なのは脱線だっせんの可能性の大きなルートを走ることである。
 かりに大きなカーヴがあってもスピードがなければ脱線だっせんしない。安全運転だけを目標とするのなら、脱線だっせんしないのは喜ぶべきことだが、新しい道をつくるには、軌道きどうの上だけ走っていたのでは話にならない。無理なカーヴなら脱線だっせんして、より合理的な近道を発見することができるはずである。脱線だっせんするにはスピードを出している必要がある。これは自動車の運転とは違うちが 
 ころがって読んだときに、たいへんおもしろいと思ったから、
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ひとつ本腰ほんごしを入れて読んで何かまとめてみようか、などと考えて机に向かって読むとさっぱりおもしろくなくなってしまう。そういう経験はすくなくない。やはり、読む速度が関係しているように思われる。さっと読んだときは、適当に脱線だっせんして、勝手なことを想像しながら読む。ところどころで自分の考えを触発しょくはつされる。それが「おもしろい」という印象になっている。ていねいに読めばいっそうおもしろくなるように考えるのは誤解で、スピードにともなうスリルが消えると、さっぱり刺激しげき的でなくなってしまうのである。(中略)
 大きな木の下には草も育たない、という。大木はすばらしい。寄らば大樹のかげ、という言葉もあるくらいである。近づきたいと思うのは人情であろう。すぐれた本も大木のようなところがある。その下に立っては手も足も出ないで、ただ、大著名著であることを賛嘆さんたんするにとどまる。大木は遠くから仰ぎあお 見るべきものと思って、早くその根もとから離れるはな  必要がある。
 これは本だけではなく、すぐれた指導者についてもいいうる。すぐれた影響えいきょう力をもっている点にのみ着目していると、そのために個性を失った人間が育つ危険を見落しがちになる。亜流ありゅうになりたくなかったら、敬遠して影響えいきょうを受ける必要がある。それを勘違いかんちが して、すぐれた先生にはなるべく近づきたいという気持ちにひかれて、せっかくの師の薫陶くんとうを台なしにしてしまうことが、いかにしばしば起こっていることであろうか。すぐれた師匠ししょうの門下にかならずしも偉才いさい傑物けつぶつばかりが輩出はいしゅつするとは限らないのは、大木の枝の下で毒されて伸びるの  べきものまで伸びの ないでしまうからであろう。だいいち、門下という言葉からして感心しない。心ある門弟はあえて門外に立つ勇気がいる。
 圧倒あっとうされそうな影響えいきょうをもっているものには不用意に近づかないことである。近づいてもながく付き合いすぎてはいけない。

外山とやま滋比古しげひこ「知的創造のヒント」による。)
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