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 最近、料理を趣味しゅみとする人が増えたが、初心者とプロとで一つ大きく違っちが ていることがある。初心者の場合は本や自分のレパートリーの中から、まず自分のつくりたいものを決め、必要な材料を買いにゆく。材料の中で一つでも手に入らないものがあれば、どこまでも探しにゆく。これに対してプロの料理人は、まず市場をのぞきにゆくという。そしてその日に入荷した材料の中から良くて豊富なしゅんのものを見つけると、それを中心にして活かす料理の設計がそれから始まる。
 初心者の場合は技術からの発想である。最初に手持ちの技術と設計があり、それに必要な資源を求める。これに対して、プロのほうは、資源からの発想というべきであろう。最終目標についての大まかなイメージはあろうが、設計が初めからきまっているわけではない。まず手に入れられる、資源を前提にして、それを活用するための技術がそれから決まるのである。
 資源からの発想が可能なためには、レパートリーが広く、しかも自由にそれを応用し得る能力が必要である。だが結果的にはその時期ごとに最も良い材料で安く良いものをつくることができる。
 これまでの近代産業技術は、つねに技術からの発想だったといえる。技術開発も、はじめに既存きそんの技術があり、それをいかに修正するかの問題であった。設計図が先にあり、それに必要な資源は世界中から運んできた。石炭の豊富なところで始まった技術が全く石炭のないところへ導入されることもしばしば見られることであった。地元に他の資源があってもそれが既存きそんの技術に合わなければ一切かえりみられず、ひたすら既存きそんの技術に適する資源を追いもとめてきたのである。
 その結果、石油やウランなど地域的に偏在へんざいのはげしい資源への過度の依存いぞんが起こり、それをめぐって各国がしのぎをけずり、国際的な政情の変化に一国の経済基盤きばん揺り動かさゆ うご  れるようになったことは、今のエネルギー問題が雄弁ゆうべんに物語っている。そして今、有力な代替だいたい資源が見当たらないまま、石油資源の枯渇こかつは目に見えはじめている。
 だが資源は本当にないのだろうか?
 エネルギー資源にせよ、鉱物資源にせよ、最近騒がしくさわ   いわれる
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水資源にせよ、よく考えてみると我々の身のまわりにはかなり豊富にある。ないのはそれを活用する技術であり、何よりもそこに目を向ける資源からの発想であった。
 近代文明は、技術からの発想に立ってこれまで目覚ましい発展をとげてきた。手引き書の通りやりさえすれば初めての人でも一応の製品がつくれるからである。日本はまさにその優等生であった。だがそれは所詮しょせん、初心者の料理にすぎなかったのではあるまいか? そして今、その基本的な材料の不足に音を上げている……。
 今日、人類が直面している危機を乗り越えの こ 、新しい文明への道を拓くひら ためには、発想を一八〇度転換てんかんして、技術からではなく、資源からの発想に切り換えき か 得るかどうかがかぎとなることであろう。
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