a 長文 7.3週 ri
 何といっても、現代技術を特徴とくちょうづけるのは豊富な工業製品の氾濫はんらんであろう。少なくとも先進工業国においては、高い生産性に裏づけられた安価で高品質の工業製品を容易に入手することができる。このことが豊かさの象徴しょうちょうである。そして途上とじょう国においても、そのような豊かさが目標として設定されている。
 現代技術は、とりあえず人間にとって有用でない自然資源を抽出ちゅうしゅつし精練し、そして加工して有用なものに変化させることをその中心としている。豊かさは、このような生産技術によって支えられる。
 ところが、このような技術の持つ問題が、最近しばしば話題になる。豊富な工業製品をつくり出すための条件としての資源エネルギーについては、その限界が指摘してきされてすでに久しい。しかも使用し終わった製品の廃棄はいきについては、安全問題などを引き起こしながら廃棄はいき場所の重大な不足を招いている。そしてもっと本質的なこととして、資源と廃棄はいきという、いわば工業製品の条件のみならず、製品そのものの使用の場面においてさえも、道路の容量に対して過剰かじょうな自動車とか、家の中に入り切らない家庭用機器などの問題が起きている。しかも道路の新設は少なくとも都会においてはもはや不可能であり、家の広大化は地価の高騰こうとうによって望むべくもない。
 とすれば、自然資源を有用な人工物に変換へんかんすることによって豊かさを達成するという、あたかも自明と考えてきた命題は、多くの矛盾むじゅんをはらむようになってきたと言わざるを得ない。これらは、人工化環境かんきょうにおける人工物充填じゅうてん率の限界であり、資源エネルギーの限界であり、廃棄はいき物処理能力の限界である。そしてこの限界は、局所的現象にとどまらずに、オゾン層破壊はかいに見られるように地球的規模にまで拡大している。
 依然としていぜん   工業製品の大量供給という図式に頼りたよ ながら、一方で私たちは別の視点を生み出しつつある。それは、工業製品を使用するのは、それに潜在せんざいする機能を発現させ享受きょうじゅすることが本当の目的であり、製品を所有することはそのための単なる手段にしか過
 333231302928272625242322212019181716151413121110090807060504030201 

ぎないという視点である。事実、レンタルなどの方式は次第に拡がりつつあり、そこには製品の機能を買うという形態が生まれつつある。
 考えてみれば、豊富な製品を所有しそれに囲まれて暮らすというのは、それ自体は目的でなく、それらから発現してくる豊富な機能を享受きょうじゅするのが目的であるのは当たり前のことであり、その所有とは、本来の機能享受きょうじゅの目的達成を可能にする一手段に過ぎない。とすれば、技術による豊かな社会の実現という視点においては、このような製品所有は必然的なものではない。むしろ機能の売買がより本質的である。
 我々が日常生活において、製品を買って所有するかレンタルで機能を買うかの選択せんたくは何気なく行うことが多いであろう。しかしこのことは一見その場面場面では偶発ぐうはつ的なことのようでありながら、結局は充填じゅうてん率の限界などの現代技術が持つ問題に本質的に影響えいきょう与えあた ていく重要な視点である。

 吉川よしかわ弘之ひろゆき「テクノロジーの行方」による。
 666564636261605958575655545352515049484746454443424140393837363534