要するに、ニューヨークは何もない街らしい。だから、その点、東京によく似ているといえる。実際、商店の飾り窓のかざりつけだの、道路から直接二階へ上る狭い階段の入り口だの、そんな何でもない街のたたずまいの中に、ときどき「おや」と思うほど東京にそっくりの情景が眼につく。そう思って眺めると、東京がニューヨークを真似しているのか、ニューヨークが東京を取り入れたのか、一瞬どっちがどっちだかわからなくなるようだ。私の前を、ゴムの半長靴をはいた女が一人、前かがみの姿勢で歩いて行く。踏み荒らされた舗道は毀れてデコボコだし、おまけに一週間まえに降った雪が凍りついたり溶けかかったりして、よほど気をつけないと滑ってころぶか、氷まじりのヌカルミにぞっぷり足のクルブシまでつかってしまう。道の片側に高い板塀がつづき、中ではコンクリート建築の作業をやっている。間断なしに響く重苦しい金属音。道路をうめつくしてやっと動いているタクシーや乗用車。……
見るものは何もない(その気になれば芝居でも、美術品でも、世界の一級品がふんだんにあるにもかかわらず)、ぼんやり休んでもいられない、そのくせ黙って空気を吸っているだけでも金がへって行くようなニューヨークの街は、およそ観光客には不向きのようだが、住んでみたら案外暮らし好いかもしれないと思わせるところもある。近代美術館がそうだったように、ここには伝統や権威や際立った性格的なものは何もないかわり、外来者が眼に見えぬ圧迫感を加えられることもなさそうだ。ナッシュヴィルのようにホテルのロビーでまわり中から眺められることもないし、どんな恰好をして歩いていても平気だ。黒人の男が白人の女とつれだっているのを見掛けたが、これはナッシュヴィルでは夢みたいなことだ。……朝、コーヒー・ショップで食事をしていると、眼にクマどりのある顔色の悪い女の子がドーナッツを半分だけ惜しそうに食べ、あとの半分を紙ナフキンに包んで、木綿のワンピース一枚の姿で雪と氷の戸外へ、ゆっくりと出て行った。彼女の痩せた肩先には、無残で優美な都会の無関心さが肩掛けのようにかかっている。
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