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 今、日本の都会では、路上でものを売る人を見かけることがほとんどない。たまにあっても、ヒッピーのアクセサリーとかワゴン・セールとか、朝市とか、いかにも特別な売り方で、ただなんとなく道端みちばたに立ったりしゃがみこんだりして客を待つという売り手がいなくなった。
 順序から言うならば、常設の店ができる前は商売はみんな路上で行われていた。道は人や馬の行き来のためだけにあるのではなく、立ち話やものの売買や時には喧嘩けんかのための公共スペースだった。家の裏の小さな畑で出来た豆やいもを町まで運んでいって道端みちばたで売る。売れたら、そのお金で、家では作れない野菜や道具類や贅沢ぜいたく品を買って帰る。商売はこうして始まったのだ。
 しかし、道で売っているものは時として信用できない。村の顔見知り同士ならともかく、大きな町で見知らぬ者からものを買うと、万一、それがインチキな品でも苦情を持ち込むも こ 先がない。今でも訪問販売はんばい通販つうはんの類にはこの種の問題がつきまとっている。
 訪問と言えば、三十年前に見事な詐欺さぎにあったことがある(どうもぼくは詐欺さぎにひっかかりやすい性格らしい)。日曜日の昼ごろ、庭で草取りをしていると、威勢いせいのいい魚屋風の男がやってきて、道から声を掛けるか  うなぎを買わんかと言うのだ。今と違っちが 冷凍れいとう蒲焼かばやきがいつでも手に入るわけではなく、うなぎはなかなか贅沢ぜいたくな食べ物だった。それが安い。たしかに安い。男は垣根越しかきねご に、なぜ安いかという理由を、特別のルートとか何とか、言葉巧みたく に話す。
 日曜だからどこの家でも父親がいる。一つ奮発しようということになって、家族の数だけうなぎを買う。それから御飯ごはん炊くた 算段になる。この時差が大事だ(保温式の炊飯すいはん器はまだなかった)。買ってすぐに食べるものではこの話は成立しない。一時間後、いよいよ白い御飯ごはんがどんぶりに盛られて、蒸して温めたうなぎが乗り、タレがかかってみんなの前に並ぶ。子供たちはわくわくしてはしを取る。ところが、一口ほおばると、これがあなごなのだ。見た目はそっくりだが、味はだいぶ違うちが あなごはあなごでうまい魚だけれども、うなぎに化けてはいけない。もちろん男は二度と来なかっ
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た。路上の取引には、いつもこのくらいのリスクがつきまとう。
 日本のように万事がお金本位になってしまっていない国では、まだ路上の商売は賑わっにぎ  ているし信頼しんらいもされている。イスタンブールでは子供たちが街頭に並んで、声を張り上げて煙草たばこを売っている。それがなぜか毎日のように品が変わる。ある日は全員がケントを売っている。次の日はそれがサムソンという国産ブランドに変わる。トルコの子供たちはよく働く。寒風の中で鼻をすすりながら、サムソンサムソンサムソンと黄色い声で呼ぶのが、今でも聞こえる。
 スーダンの煙草たばこの売り方はまた違うちが 。首都のハルトゥームは全体が砂漠さばく色にくすんだ町で、その広いっぽい道のわきに、煙草たばこ屋は黙っだま 坐っすわ ている。買うのはほとんど常連で、取引の単位は一本である。スーダンの人にとって煙草たばこは相当な贅沢ぜいたくで、一度に一箱をまるごと買える者は少ない。だから、一本ずつ買う。朝、仕事にゆく途中とちゅうで一本買って、その場で吸う。マッチで火をつけるのは無料サービス。煙草たばこ屋の周囲に立ったり坐っすわ たりして、本当においしそうに吸う。まわりにいい匂いにお けむり立ち込めるた こ  。吸い終わると、元気に仕事に行く。お金に余裕よゆうがある時には、昼にも一本買う。
 まだ禁煙きんえんしていなかったぼくは、ある日、この煙草たばこ屋から一箱買おうとした。橋を渡っわた てオムドゥルマンの町までラクダ市を見に行くのに、道中で吸う分を持参するのだ。
 一度にたくさん売れば、簡単に儲かるもう  わけだから煙草たばこ屋も喜ぶだろうと思ったのだが、それはみんなが煙草たばこ代に困っていない国から来た者の、浅ましい考えだった。
 ぼくは、一箱は売れないと言われた。つまり、この煙草たばこ屋にしても、毎朝早く、その日に売る分だけを仕入れてくる。だから、ぼくが二十本も買ってしまうと、昼休みの一服を楽しみにしている誰かだれ の分が足りなくなる。事情を知ったぼくは、一本だけ買って、火をつけてもらい、ゆっくりとその場で吸って、橋に向かった。いい気持ちだった。

 (「インパラは転ばない」池澤いけざわ夏樹より)
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