1私の英語力はほとんど中学三年間の教育に依拠している。高校時代に覚えた難しい単語は記憶の彼方へ霧散してしまったし、大学時代の英語教育はなきに等しかった。大学にはLL教室があったけれども、テレビモニターを相手におうむ返しに発声するという行為の単純さと滑稽さには耐え難いものを感じた。2現代小説を読むリーディングの授業は他力本願で何も身につかなかった。一番ひどかったのがアメリカ人講師による会話のクラスだ。これにはどうしてもなじむことができなかった。その主な理由は、講師の「笑顔」にあった。3金髪の彼は、授業の間中、表情豊かに微笑しつつ頻繁に学生たちに語りかけていた。たいてい私はうつむいて、机の下で爪をいじったりしながらそれを聞いていた。それがいけなかった。
4視線を落として指先のあたりを見つめるのは「意識を集中して何かを聞く」ときの私の定型ポーズにすぎないのに、彼にかかると、それは授業に対する「不満の表明」とみなされる。しょっちゅう机の脇に来ては、「何か問題がありますか?」「具合でも悪いのですか?」と尋ねられてうっとうしいことこの上ない。5私は無表情に首を振る。「別に、何もありません」心の中では思っていた。おかしくもないのにあなたみたいに笑っちゃいられないわよ。馬鹿じゃないんだから……。そうこうする間に私の英語力は息絶えた。
6それから十年以上が経った昨夏、女子大生の語学研修に同行してアイオワ州のある私大へ行った。私自身は英語のレッスンに参加したわけではなかったけれども、ひと月近く滞在するうちに、あちらの教授陣とかなり緊密な付き合いをすることになった。7なにしろ、朝昼晩の食事が一緒である。毎日、レッスンの前後にあちこちへ案内され、週末には自宅へ招待される。それはもう逃げ場もなく英語攻めということでもあり、苦しさ半分有り難さ半分といった日々。苦しさの方は、言葉が頭の中に渦巻くばかりで口から発射されないことだ。8だいたいすれ違うたびに見知らぬ人と挨拶を交わすという習慣からして私にはつらい。にっこり笑って、「ハーイ」というだけのことにどっと疲れてしまう。
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