1農業は、きわめて恣意的な営みである。
土を耕す仕事は自然と調和したエコロジカルな行為と一般には思われているようだが決してそうではない。恣意的、といって曖昧なら、人間が自然を自分の都合のよい方向にねじ曲げる行為、といったらいい過ぎか。
2だいたい、野菜、という概念からして人工的なものである。
人は野草や山菜を採集する労苦と非能率を恨んで、採ってきた植物を住むところの近くに置いて管理しようと試みた。種を取って播き、みずからの意志によって自然を手なずけようとさえした。
3人間の管理下に置かれたもののうち、栽培されることに甘んじた植物もあったし、断固としてそれを拒否し、野生の状態でなければ生育しないことを死をもって示した種もあったろう。
食用になる野草山菜のうち、人の管理下での植栽が可能なものが「ベジタブル」と呼ばれる。4生長・増殖することが可能、という意味である。
そればかりではない。品種の「改良」という名のもとに、人間は植物の姿かたちさえも自分たちの望む通りに変えてきた。根が食べたいと思えば、根を太くする。茎が固いと思えば、柔らかくする。
5たとえばレタスとかキャベツとかいった、丸く結球する野菜を考えてみよう。
これらの植物は、芽が出てからしばらくのようすを見ていればわかるが、最初はごくふつうの、それぞれの葉が外側に反りながら上に伸びていくかたちの青菜である。6それが、ある時点から、しだいに外側の葉が内側の葉を包むように巻きはじめる。
この性質は、人間がつくったものである。
葉が丸く内側に巻きはじめるのは、過剰な栄養のために過度に増えた葉がこみあって伸びる場所を失うからだ。7もちろん生体が想定し得る以上の栄養を与えることができるのは人間だけであり、そうして得られた結果――つまり、結球することによって内部は日光を遮断されて白く柔らかくなり、同時にひとつの固体の摂食可能な部分の体積が飛躍的に増える――を享受するのもまた人間なの
|