1学習の遺伝的プログラムは、その動物の生きかたに応じて、じつに細かな配慮をもって周到に組みたてられている。
人間はもともと集団をつくって生活する動物なので、多くのことを学習して行動を身につけていくようにプログラムされていると考えることができる。2事実、人間には学習しないとできない行動がたくさんある。性行動すら何らかの形で学習する必要があるといわれている。そして人間は、教えればずいぶんいろいろなことを学習する。
このようなことが近代における多くの誤解を生むことになった。
3たとえば、人間は遺伝子から自由で、多くのことを学習によって獲得し、進歩してゆくという誤解。
遺伝(本能)によらず学習によって行動を形づくっていくということは、人間が動物より格段に進化した存在であることの証拠であるという誤解。
4そして、人間は幼いときからいろいろなことを教えこんで学習させれば、いくらでも多くのことができるようになるという誤解。
このような誤解にもとづいて、近代はやたらと教育熱心な時代になった。とにかく学校をつくって教育しなくてはいけない。
5こうして、多くの「進んだ」国々は、人づくりに狂奔することになった。
たしかに、何かをするには「人」が必要である。けれど、その「人」をつくるという発想自体を検討してみようなどという兆しはまったく見られない。
6利己的遺伝子の見方に立つと、「人づくり」という発想はいかにも奇妙で、現実ばなれしている。あえて、利己的遺伝子説を引き合いに出すまでもなく、現代の一般的な生物学の認識から見ても奇妙である。
個人が生まれてのち育っていくプロセスは、いわゆる発生学の問題である。7今日の発生生物学の認識によれば、発生、発育のプロセスは、基本的にはすべて遺伝的にプログラムされており、問題はそのプログラムがどのように構成されているか、そのプログラムがちゃんと作動し、具体化されてゆくためにどのような条件が必要か、ということである。
8こういう新しい条件を与えたら、新しいプログラムができて、新しい発育のしかたをするとか、プログラムが改善されて、よりすばらしい個体ができあがる、とかいうものではない。9といって、
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