1今まで機能してきた日本社会のシステムが、機能不全に陥っている。いやそのシステムが機能していると見えたのはうわべだけで、うまくいっていると見えているうちから内部崩壊はすでに進んでいた。2それに気づかなかったのは、そのシステムが表層的に誇示する利得、すなわち右肩上がりの経済成長があまりにも目覚ましく、その「豊かさ」が目くらましの効果を持っていたからだ。
日本型システムが崩壊させていったのは、一言でいえばわれわれの「存在感」である。3われわれはなぜ生きているのか。何を求めているのか。われわれとはそもそも何者か。これだけ「豊か」になったこの社会の中でわれわれはその問いに答えることができない。これだけ豊かになったのに、われわれは存在感の病いに悩んでいる。4そしてこれだけ豊かになったのに、われわれはどこかで自分自身が根源的に自由でないと感じている。
「豊かさ」と「存在感」が、ともに仲良く二人三脚のように進んでいた時代はあった。われわれはかつてほんとうに貧乏だった。ぼくの幼い頃の日本にして、今の日本から比べれば明らかに貧しかった。5昭和三十年代生まれのぼくでもそう感じるのだから、第二次世界大戦直接の日本を知っている世代にとっては、その実感はなおさらだろう。(中略)
その時代において、「豊かさ」を獲得することはわれわれの「存在感」の拡張でもあった。この世界はどんどん良くなる。どんどん豊かになる。6そのイメージが時代を支配していた。それはイメージだけではなく、時代の実体そのものだった。だから、われわれはなぜ生きているのか、何を求めているのかと問われたならば、その問いの答えは比較的明確だった。われわれは豊かな明日のために生きている。7今日の苦労が明日の豊かさとなって返ってくる。世界はわれわれを裏切らない。必ずわれわれは報われるのだ。われわれは、世界と私の自由な関係の中に生きていた。(中略)
しかし、その豊かさを手に入れやっと余裕ができたはずなのに、われわれは、今、ため息をつき、暗澹とした気分に陥っている。8むしろ立ち止まって、自分自身の姿を鏡に映し出す余裕ができたことが悲劇だ。そこに映し出されている自分自身の像は、あまり豊かそうな顔をしていないのだ。
|