1私が今コインを投げようとする。そのとき裏がでるか表がでるかは半々だ(二分の一の確率だ)、ということは何を意味しているのだろうか。ここで大切なのは、今問題にしているのはこれから投げるというただ一回きりの事件についてである、ということである。2これから何十回も投げてそのうち表と裏が大体半々にでる、というのではないのである。次のただ一回きりの投げが問題なのだ。そこで投げてみる。表がでた。そのことで裏表のチャンスは半々だと言ったことが当たったことになるだろうか。もちろん、なるまい。3このとき、裏のでるチャンスは一〇分の九だと言ったとして同様である。それはなお表がでる可能性もある、と言っているのだから。つまり、裏と表がでる可能性が、ともにあることを言う確率的予言では、表がでれば裏のでる可能性を示す機会は失われ、裏がでれは表の可能性は永久に失われる。4ちょうど、それを受けるも拒むも私の自由だと言っても、その一方をすれは他方をする自由を示す道が論理的に失われるのと同様である。しかも確率的予言はその両立不可能なニつの可能性を云々するのである。
5要するに、一回きりの事件では前もってその確率を云々しても、その予言の当たり外れを言うことは、意味をなさないのである。確率いくらいくらということが正しかったか誤っていたかを定める方法がないからである。だが、われわれの日常生活で確率を問題にしたいのは、大抵一回きりの事件の確率なのである。6明日の天気、来月の株価、次の打者のヒット、来年の地震、次のトランプのめくり札、商談での相手の次の出方、山をかけた試験問題の出様といった一回きりの事件の確率が当たった外れたということが意味をなさないようなものならば、一体われわれは何をしているのだろうか。
7数学者は、こう言うかもしれない。明日晴れる確率が一〇分の八だ、というのは実は、現在の気象状況に似たケースでは、これまでその一〇分の八が晴れであったということなのだ、と。なるほど、気象庁の予報官はその意味で天気予報をしているのだろう。
8しかし、われわれの方で今日問題にしているのは明日の天気であって過去の気象ではないのである。明日の天気が晴れる確率が一〇分の八だと言っているのである。過去の気象統計はその参考でしかないのである。9自分が後何年生きられるだろうというとき、過去の日本人の(自分の年齢層の)余命が平均何年だと聞かされてもそれはあくまで参考でしかないのと同じである。物理学者にとっても、ある放射性元素の半減期を知ることは個々の原子の放射性崩壊
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