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 何を読むかという前に、まず何はともあれ、夢中で読むという体験を一度味わう必要があります。読む対象はそれぞれの人によってことなりますが、とにかく面白く楽しい本であることが必要です。そして一度読む楽しさを知ったら、あとは、この面白さの内容を次第に高めることが、楽しさを長つづきさせる秘訣ひけつです。たとえば推理小説だけを読んでいると、最後にはせっかく面白かった本も、何となく空虚くうきょな感じがしてきます。
 一度読む楽しさを知った人は、あとは放っておいても、読書の本能ともいうべきものによって、自分にぴったりした本をもとめてゆくものです。また百冊の本のリストによって自分にふさわしい本を捜すさが ようになるのも、この時期です。この時期になれば、百冊のリストを見ても恐れおそ をなすどころか、逆に面白そうな本がこんなにならんでいてくれることに、ぞくぞくした楽しさを感じるようになるものです。ですから、読書の楽しさを知るということが、私たちが最初に体験しなければならないことになるのです。
 ある人は訊ねるたず  かもしれません。「いまはテレビや映画や劇画によって読書以上の楽しみを味わえる時代なのに、なぜ古臭いふるくさ 読書などに執着しゅうちゃくするのですか」と。
 しかしテレビを見るのと本を読むのとは別々のことです。テレビは私たちを自分の外へ引き出しますが、読書は自分の中へ引き戻しひ もど ます。それに読書はいつどこででもできます。汽車の中でも、飛行機の中でも、昼でも、夜なかでも一冊の本さえあれば、自由に別世界に入りこむことができます。同じ本でも、小説は劇画より、もっと自由自在に豊かに想像力のつばさに乗って羽ばたくことができるのです。
 読書の楽しさの中で最大のものは、この自由感だということもできます。本のとびらを開けると、もう向こうはフランスだったり、江戸えど時代の日本だったり、幻想げんそうの世界だったりするわけですから。そこでは、私たちの人生とは別の人生がはじまっています。別の人々と出会い、数奇すうきな運命をたどることができるのです。深い悲しみや喜びを味わうこともできますし、人生の裏面の赤裸せきらなすがたを見て戦慄せんりつすることもあります。私たちのたましい地獄じごくを通り天国を通ります。泣いている女にも会います。打ちひしがれた男にも出会
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います。幸福な人にもこい悩むなや 人にもぶつかります。私たちは思わぬ人生の寂しさび さや、孤独こどく感や、人々の愛を体験します。
 こうして一冊の本を読み終えたとき、私たちは読みはじめる前とは、別人になったように思えることがあります。私は『罪とばつ』を読んだとき、そんな気持ちを味わいました。しかしこうした経験は読書以外には絶対に味わえません。こうなると、読書は単なる楽しさから、もっと深いもっと複雑なものに変わってゆくことになります。
 読書の対象はこうして詩や小説から哲学てつがくや宗教へ、神話や心理学へ拡がってゆきます。しかし読書が生涯しょうがいを通じて私たちのそばにあるのは、それが何よりも楽しいことだからです。楽しくなければ何にもなりません。その証拠しょうこには、何か無理をして勉強し、我慢がまんをして読書をしていた人は、目的を達すると、けろりと読書などしなくなるものです。
 私は自分でもスポーツが好きですし、映画もよく見るほうです。音楽なしでは一日もいられません。それでも、なお読書の楽しみを皆さんみな  に味わってほしいと思うのは、読書によって、そうしたスポーツや映画や音楽の楽しみが、一段と豊かになり深くなるものだからです。

つじ邦生くにお『永遠の書架しょかにたちて』による)
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