1馬耳東風、ということばがある。
他人のことばや意見などを心に留めないできき流すことを言う。馬の耳に念仏。こういう人間には何を言ってもしかたがない。われわれはたいていのことをきき流しにしている。2大事なことでも、左の耳から入ったらそのまま右の耳から出て行ってしまう。とくに馬耳東風をきめこんでいるのではなくても、耳は馬の耳である。そして、馬はそのことをご承知ないから、のんきなものだ。
3学会などの研究発表では、たいていあとに質問の時間がある。かつては、ほとんど質問する人はなかった。外国人の講師だと、不思議がる。どうして、日本人は質問をしないのだろう。4全部賛成なのか。それともすべてを無視しているのか、わからない。手ごたえがなくて不気味だ、と言う。馬の耳では質問したくてもできないのだということを彼等は了解しない。5われわれ自身もわかっていない。
先日、あるところで、日本人の耳は悪いという話をしたら、あとでそんなことがあるものか、と反論された。病気にも自覚症状があるうちは軽いが、本当に重症になると自分の悪いことがわからなくなってしまうことがある。
6「馬耳症」という病気も、自覚症状がないところを見ると、膏盲に入ったと考えなくてはなるまい。集団的にかかっている慢性病で、ひょっとすると、死ななくては治らないかもしれない。
7それでも、このごろの講演ではあとに質問する人がふえた。やっと日本も外国なみになってきたかと喜んでいる人があるが、それはすこし早合点ではなかろうか。
8その質問というのが、実に愚にもつかぬささいなことばのあげ足とりであることが多い。講師がちょっとはさんだことばをとりあげて、その使い方に異論をさしはさむ。9講師がそれに答えるのだが、お互いの頭にある考えがまるで違っており、自分の考えだけが正しいと思っているから、質疑応答をくりかえしていると、ますま
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