1わたしのところに、父親のすすめる学校に行くのはいやだから家出したいとか、高校の娘が化粧のことで注意したら、ろくに口もきかなくなったというような手紙がきている。こんな状態を、世では親子の断絶というのだろう。
2なぜ、このような断絶がくるのか。断絶などという言葉をつかうと、事は深刻に見えてくる。だが、ありきたりの言葉でいえばお互いの「わがまま」なのだ。わたしは以上の話をきいて要するに「わがまま」な話だと思った。
3「わがまま」というのは、身近なものの間にほど現れる現象である。他人同士だと、相手の話をよく聞こうとする姿勢があり、相手の身になって、相手を傷つけないようにと心を配るが、親子や、兄弟、夫婦などには、つい「わがまま」が出てしまう。
4「わがまま」とは、何か。我のまま、我の思うままにふるまうこと、つまり、自己中心的にふるまうことだ。この世のいざこざは、この自己中心が原因なのだ。
5「受容」という言葉がある。受け入れるという意味だが、断絶、わがままは、相手を受け入れない姿勢なのだ。
親子にしろ、夫婦にしろ、毎日生活して、同じ家に、同じ食べ物を食べて生きていると、つい相手を自分と同一の人間であるかのように錯覚してしまう。特に親は子どもを、自分の血肉をわけた者として、文字通り自分の分身だと思いこんでいる。
6何の問題もない時は、自分に顔が似ていたり、同じ食べ物が好きだったり、似た性格だったりする相手は、たしかに分身に思われ、一体感を感じさせる好ましい存在なのだ。
7だから、一朝、恋愛問題や進学問題など、どうしてもはっきりとした態度を取らねばならぬ事態に直面し、意見が異なると、たちまち、お互いの態度は硬化する。受容の精神が欠けているのだ。だから、相手を絶対に受け入れない。8「あんな女のどこがいい」
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