a 長文 11.1週 nu2
 粗大そだいゴミのゴミ捨てす 場へ行くと、まだまだ使えるものがいっぱい捨てす てある。それは環境かんきょう汚染おせんするわけです。そんなことならばもうちょっと高くても品質ひんしつのいいものを買って、おじいさんから孫まで生活の思い出の残るものをずっと伝えていけば家具なども捨てす なくていい。そうすればゴミ捨てす 場もそれだけよけいな負担ふたん背負わせお ずにすむわけです。けれども、日本人は使っては捨てす 、使っては捨てす という生活に疑問ぎもんを持っていません。
 何年も寸法すんぽうひとつ狂わくる ずに、引き出しもとびらもピッタリとしている家具への愛着は、毎日の暮らしく  、人生、自分の世界をつくっていたものへの愛でもあり、そういう年月に耐えるた  ものをつくった人の腕前うでまえに対する尊敬そんけいでもあるわけです。
 たとえば何代も読みつがれる名作といわれる文学作品は、アブク(あわ)のように消えるいわゆる「よみもの」よりも多くの人に長く愛され、尊敬そんけいされているでしょう。いつまでも本棚ほんだなに置いておきたいと思うでしょう。そこから得たものは、それぞれの人格じんかくの中に深くはいりこんで、読者の人間を豊かゆた にしたでしょう。すぐに忘れ去るわす さ 一過いっかせいのよみものとは、違うちが ものだと思います。それはモノに対しても同じであるはずなんです。
 一方で使い捨てつか す の安物を買っていると思えば、他方では五万円もするような化粧けしょう品のクリームも売れている。その原価げんかは五分の一以下と言われているのに、独占どくせんによるチェーンストアヘの支配しはいが強くて、ほんとうの市場価格かかくまで下がりません。公正取引委員会が外圧がいあつ(外部の力)によって、やっと重いこしを上げ、最近、一、二の小売店で値崩れねくず を起こしています。わたしたちはまぼろしに対しておカネを払っはら ていたのです。
 家の中には、だれ弾かひ ないピアノやオルガンもあれば、テレビもあります。ビデオデッキも、CDプレイヤーもあります。地震じしんがあれば押しつぶさお    れるのはあたりまえだというくらい、いろいろな
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ものが置いてある。ほんとうの安全には手抜きてぬ をした家の中に、そして安全を手抜きてぬ した町づくりの中に、変なぜいたくがあるのです。こういう豊かゆた さはおかしいのではないかとおもいます。
 では、ほんとうの豊かゆた さ、なんとなく豊かゆた な気持ちで毎日が送れる時とはどういうときかと考えてみますと、『パパラギ』という本をお読みになった方がいらっしゃるかどうかわかりませんが、南のある島の酋長しゅうちょうが書いた本です。その中で、こういうことを言っている。人間というのは頭だけで生きているのではない。足だけで生きているのでもないし、手だけで生きているわけでもない。心もあるし、身体もあるし、頭もある。頭も手も心で感じることも、目も耳も全部が同時に満足することが必要だ。ひとつに統一とういつされた満足感が必要だ。そういう生活が、人間として幸せで豊かゆた な生活なんだと言っている。
 頭だけあるいは手だけを酷使こくしして、ほかのところを顧みかえり ないと、人間は必ず病気になり、健康な心と身体を失う、と言っています。つまり人間は、全体で生きていて、全体を働かせ、全体を楽しませ、全体がひとつになって幸せになることが豊かゆた なのだと言っているのです。一部分だけが満足している状態じょうたいは、病気だと言っているのです。
 同じことは教育の中にもあります。教育は全人格じんかく発展はってん、人間としての成長を促すうなが ものですが、現在げんざい、日本の教育は偏差へんさの点をとる教育になっています。だから人間の子として楽しくないのです。
 また、日本は労働時間が非常ひじょうに長い。残業をすれば手当てももらえます。お金だけ、あるいは企業きぎょうの中で出世することだけを考えれば、頭と職業しょくぎょうに必要な手、目だけを働かせて「職業しょくぎょうバカ」になることもできる。それが日本では大変いいことだと考えられている。あの人は会社のためにつまも子も忘れわす 、一身を捧げささ て、ただただ会社のために尽くしつ  てきた。企業きぎょうにとってはいい社員であるのですが、そういうのは豊かゆた ではないと『パパラギ』は言っている。
 つまり、会社人間はある専門せんもん的なことについてはベテランになっ
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長文 11.1週 nu2のつづき
ていくし、お金も儲けるもう  かもしれません。しかし、もしその人が学校を出てからまともな本を一さつも読んでいない。自分の仕事にかかわるものは読んでいるかもしれないが、人間の土台になる教養というものは、何も身につけていない。会社で働くだけで、それこそ図書館にも行かないし、山登りもしないし、音楽会にも行かないし、地域ちいき社会のために何かをするということもしない。ただ会社で働くだけ。だとしたら、まったく豊かゆた ではありません。それは人間としての生活ではないからです。

暉峻淑子てるおかいつこ「ほんとうの豊かゆた さとは」より)
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