1中学生の悩みで、一番多いのは友人についてだという。ぼくなんか、それを聞くと、青春をなつかしんで、うらやましくなってしまう。
心がすっかり通じあった、なんでも語りあえる友、というのはいいものだ。2だれもいっとき、それを夢みる。
しかし、本当のところは、そんなものはないと思う。
心が本当に通じあったら、気味が悪い。人間と人間とは、どんなに通じあっているようでも、いくらかはすれ違う。3それが、他人の間の自分というものだ。他人とは、自分と違う心を持ち、自分と微妙に心がすれ違うので、自分にとって意味を持つ。
4そうしたすれ違いから、人間と人間のドラマが生まれる。そうしたすれ違いから、新しい発想が生まれ、議論が創造へと発展する。だれひとりとして同じ心を持たない、この人間たちの意味はそこにある。
5また、なんでも話しあえる、というのも嘘だろう。嘘でないとしても、そんなになんでも話してしまっては、自分がなくなってしまう。自分だけのために、なにがしかは心の底にとっておくものだ。6それが自分の心の重荷になろうとも、それを支えるのが、自分というものである。
こうしたことを無視して、友人と考えていては、裏切られて当然だと思う。それに、あんまりベッタリした友人関係は、長持ちしないものだ。
(中略)
7本来は、友人というのは、それぞれに自分の心をとっておきながら、ふれあいのなかでいたわりあうものだろう。それは、完全には重ならず、完全には通じあわぬ、断念の上で成立する。
8しかし、きみたちにしても、そんなことは、無自覚にしろ、承知の上のことかもしれぬ。自分と他人がそれぞれに確立したうえでおたがいに関係をとり結ぶこと、そうしたことへの一種のおそれが、友人についての夢を持たしているのかもしれぬ。
9それは、ぼくにも多少はおぼえがある。自分が他人と違う自分になっていくこと、他人を自分と違う人格と意識していくこと、そ
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