1数年前のことになるが、私は米国人の言語学者T氏と東京で親しくなった。彼はもともとアメリカ・インディアンの言語を専門に研究していたが、終戦後の日本に軍人として駐留していたこともあって、最近では日本語の歴史や方言にも興味を示しはじめ、遂に奥さんと三人の娘をつれて東京にやって来たのである。2奥さんはイタリア系の人で、小学校の先生をしている。
彼は古い日本家屋を一軒借り、畳に座蒲団、冬は炬燵に懐炉、そして三人の娘を日本の学校に入れるという、一家あげての見事な日本式生活への適応ぶりだった。
3ある日、アメリカの学者の習慣として、彼は多くの言語学関係の友人、知人を家に招待した。まずイタリア風のイカのおつまみなどで、カクテルを済ませた後、別室で夕飯ということになった。4一同が座につくと、テーブルには肉料理やサラダなどが並べられ、面白いことに、白い御飯が日本のドンブリに盛りつけて出されたのである。
5畳の上に座っていること、白い御飯であること、T氏たちが日本式生活を実行していることなどが重なり合って、一瞬私は、この御飯を主食にして、おかずを併せて食べるのだという風に思ったらしい。6目の前の肉の皿を取り上げて、隣の人に回そうとしかけた時、私はT夫人のかすかにとまどったような気配を感じた。
間違ったかなと思った私は、御飯は肉と一緒に食べるのか、それとも御飯だけで食べるのかと尋ねると、夫人は笑いながら、まず御飯を食べて下さいと言う。
7私はその時、はっと気が付いた。この御飯は、イタリア料理ではマカロニやスパゲッティと同じくスープに相当する部分なのだと。
はたして、それは油と香辛料で料理した、一種のピラフのような
|