1これまでの人の観察や考えを利用するという必要から、読書はまず必要である。現在の学問にとっても必要である。いな、学問がだんだん進歩して、人間のありさまについても、自然のありさまについても、観察や思想が積み重なれば重なるほど、たくさんの本を読むことが必要になってくる。2昆虫の生活を知るには、昆虫そのものを見ることがまずたいせつである。しかし、ファーブルの昆虫記を読むことによって昆虫の生活はよりよくわかる。またわれわれは、すぐれた絵画や音楽や文学に接したとききっと深い感動を受ける。3しかし、これまでの人が、それらの絵や音楽や文学について書いた批評や解説を読めば、われわれの感動はより深まる。
本を読むことには、もっと別の利益がある。それは、いくらわれわれが苦労しても、自分自身では経験することのできない経験、それを教えられることである。
4たとえば、ロビンソン・クルーソーのように、ただひとり離れ小島にただよい着いて、不便なひとりぼっちの生活を送るということは、おたがいの一生のうちに、まずありそうにもないことである。5しかし、ロビンソン・クルーソー漂流記という書物を読めば、人間はそうした場合、どういう気持ちになり、どういう行動をするかということがわかる。6また、孫悟空のように、雲に乗って空を飛びまわったり、耳の毛を何本かぬいて、ふっとふけば、それがみな自分と同じさるの形になって、そのへんを走りまわるというようなことは、空想の世界だけにあって現実の世界にはないことがらである。7しかし、西遊記という書物を読めば、そうした場合に、人間はどんな気持ちになるだろうと、想像することができる。
小説ばかりではない。歴史の本も同じように役にたつ。われわれは、ジョージ・ワシントンのような地位に立つことは、まずあるまい。8また、ナポレオンのような地位に立つことは、いっそうあるまい。しかし、ワシントンの伝記を読めば、誠実に世の中のためにつくそうとした人の喜びと苦しみがわかるし、ナポレオンの伝記を読めば、うぬぼれの過ぎた人間の得意さと悩みがよくわかる。
9なるほど、われわれはロビンソン・クルーソーそのままの境涯になることはまずあるまい。つまり、離れ小島でひとりぼっちの生活を送ることは、まずあるまい。しかし、そうしたときの人間の気持ちを知っておくことは必要である。0
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