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 九二年度末の時点で、この国には一万九四二個もの規制があったといわれる。規制は、政官業癒着ゆちゃくの構造を磐石ばんじゃくのものとする主因でもある。近時、「規制緩和かんわ」の大合唱が巷間こうかんにこだまするようになったが、すべての規制が「悪」というわけでは必ずしもない。
 規制の中には、安全、環境かんきょう保全、弱者保護、経済的不正の防止、景観保全、自然保護などをねらいとする「必要」な規制が数多くある。しかし、あってもなくてもいいような規制、健全な自由競争を阻害そがいする規制、不必要にきびしすぎる規制、利権の温床おんしょうとなる規制など、緩和かんわないし撤廃てっぱいすることが望ましい規制が、少くとも過半を占めし ているとみてよい。
 そうした規制の多くは、中央官庁の許認可権限につらなり、許認可権限があるからこそ、中央官庁は民間企業きぎょうへのにらみを利かすことができる。とどこおりなく許認可を獲得かくとくするためには、好むと好まざるとにかかわらず民間企業きぎょうは、監督かんとく官庁からの「天下り」を受け入れざるをえないといわれる。また、ここ一番というときには、族議員のたすけを借りるのがいちばん手っとり早かった。
 要するに、許認可行政の肥大化こそが、政官業三者の癒着ゆちゃくを強固なものとする接着ざいの役割を果たしたのである。「官」と「業」とのあいだに橋をかけるのが「政」の役割であり、その役割を果たしてきたうえで、ひとかどの報酬ほうしゅうを「政」が「業」に要求するのは、少なくともついこのあいだまでは常識と目されていた。
 あらためて指摘してきするまでもなく、許認可権限をかくとする政官業癒着ゆちゃくの構造こそが、市場を不透明ふとうめいかつ不公正なものにする元凶げんきょうのひとつに数えられる。とはいえ、先に指摘してきしたように、あらゆる許認可が「悪」というわけではない。問題なのは、許認可をめぐっての族議員の暗躍あんやくが、行政を不透明ふとうめい化し、民間企業きぎょう途方とほうもない時間的コストと経済的コスト(そのツケは消費者に回される)を支払わしはら せ、許認可のサジ加減の次第が行政を不公正にするという点である。もし仮に許認可権限がまったくフェアに執行しっこうされるならば、規制の緩和かんわ撤廃てっぱいの大合唱が起きたりはしないはずである。
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佐和隆光『平成不況ふきょうの政治経済室』)
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